アントニオ猪木一覧

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【22】1万6500人が酔いしれた「BI砲復活」

 1971年12月7日に札幌中島スポーツセンターでドリー&テリーのザ・ファンクスに敗れて以来、7年8カ月ぶりにジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が復活した79年8月26日、日本武道館での「プロレ...

スポーツ

追悼!アントニオ猪木〈スキャンダル全史〉カネ・オンナ・裏切り…「どうってことねえよ」

 現役時代、プロレスラーとして世界を股に掛け名声を得る一方、サイドビジネスにも入れ込んだ。  特に力を入れていたのは、アリ戦の前に立ち上げた「アントン・ハイセル」の事業だ。ブラジル国内で獲れたサトウ...

スポーツ

「燃える闘魂」の原点となった1974年「3大名勝負」(2)「キラー猪木」の腕折り事件

 この試合の3カ月後の6月26日、猪木は大阪府立体育会館でタイガー・ジェット・シンの右腕を折るという凄まじい喧嘩ファイトをやってのける。  前年11月15日、当時の夫人・倍賞美津子との買い物帰りの猪...

スポーツ

「燃える闘魂」の原点となった1974年「3大名勝負」(1)ストロング小林へのジャーマン

 アントニオ猪木は37年半の格闘技人生の中で幾多の名勝負を戦ってきた。  映像が残っておらず、伝説の一戦として語り継がれている66年10月12日、23歳にして社長兼エースとして旗揚げした東京プロレス...

スポーツ

「追悼!アントニオ猪木」“仕掛人”新間寿が激白120分【2】アリキックで足に血栓

 6月16日にアリが来日。23日に京王プラザで行われた調印式で顔を合わせると、またも舌戦が展開される。今度は猪木が「勝ったほうが全てのギャラを手にする」と持ちかけ、公衆の面前で引き下がれなかったアリは...

スポーツ

「追悼!アントニオ猪木」“仕掛人”新間寿が激白120分【1】アリが「美人の奥さんだな」

「元気ですかー! 元気があれば何でもできる」─リング内外で波瀾万丈に、誰にも真似のできない人生を駆け抜けた稀代のレスラーに思いを馳せよう。時は76年6月26日、アントニオ猪木とモハメド・アリの「格闘技...

スポーツ

「安倍晋三記念紙幣」発行検討も?岸田首相長男「秘書官」抜擢に続くサプライズ

 新聞各紙が行った世論調査では、実施に対して良かったと「思う」より「思わない」の回答が上回った安倍晋三元首相の国葬儀。5日に始まった衆院本会議で岸田文雄首相に対する代表質問でも、「国葬」をめぐり、野党...

ライフ

アントニオ猪木「偏見と病魔」と闘い続けたプロレス人生62年

 19年から難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」を患い闘病中だった「燃える闘魂」アントニオ猪木が、10月1日朝に亡くなった。享年79。最後まで、病気と闘い続け、8月には新会社も設立するなど...

スポーツ

「やんのか加藤、シャー!」神田愛花が「スッキリ」で披露した“恩人”アントニオ猪木さんのモノマネが大反響

 元NHKでフリーアナウンサーの神田愛花が10月3日、情報番組「スッキリ」(日本テレビ系)に出演。10月1日に心不全のため亡くなった元プロレスラーのアントニオ猪木さんが、コンプレックス克服の恩人であっ...

エンタメ

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【20】馬場と猪木「オールスター戦会見」での舌戦

 1979年3月8日、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の会談が東京・六本木の中華店「梅紅」で実現した。2人で同じテーブルに着くのは71年11月に日本プロレスの改革について話し合って以来、実に7年5カ月...

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