軍事的にも劣勢に立たされ、経済的にも西側諸国の圧力によって追い詰められているロシア。プーチン大統領はウクライナへの核攻撃を示唆しているが、これまでの行動を考えれば単なる脅しとは思えない。
彼が国の機関でキャリアをスタートさせたのは、ソ連国家保安委員会(KGB)。第1総局に在籍し、東西冷戦ただ中の80年代には東ドイツに派遣され、現地で諜報員として活動していた。
一介の情報部員から一国の大統領にまで上り詰めたとんでもない出世ぶりだが、16年間勤務したというKGB時代は、エリートとはいえまだ若手。今からは想像できないが、パシリのような経験もしているという。
先日亡くなったアントニオ猪木さんは、今年5月9日配信の「東スポWeb」のインタビュー記事で、まだ30代だったプーチン氏と、モスクワのKGB本部で会ったことがあると告白。しかも、会談相手ではなく単なるお茶くみ係だったというから驚きだ。
「なにしろこのモスクワ訪問で猪木さんは、ソ連崩壊を引き起こした91年クーデターの首謀者の1人であるヤナーエフ元副大統領、内務省ナンバー2のバグダーノフ氏ら政府中枢の大物たちと会っています。そんな超VIP待遇の猪木さんに顔を覚えてもらっていたわけですから、当時はペーペーのプーチン氏にとって大変名誉なこと」(国際ジャーナリスト)
もちろん、お茶くみであろうと、上から目をかけられていなければ、こうした席に立ち会う機会すら与えられなかっただろう。猪木さんにとっても、相手はまだ無名だといえ、初めてプーチン氏と会った日本の政治家になったわけだ。
「猪木さんは90年の湾岸戦争で単身イラクに乗り込み、フセイン大統領相手に日本人の人質全員を解放させています。もし今も元気なら同じようにモスクワに乗り込んで停戦を直接働きかけたかもしれません」(同)
政治家としても有事の時ほど頼りになった燃える闘魂。その死は、プロレス界だけでなく政界にとっても大きな損失となった。