「小氷期」と呼ばれる地球規模の寒冷期にあった江戸時代、気温は現代より平均約1〜2℃低く、隅田川や淀川が厚く結氷した記録が残っている。では、エアコンやストーブなどの暖房機器がない当時の庶民は、どのように極寒をしのいでいたのだろうか。
まず、身体を覆う衣服だ。内側に麻の肌着を着たうえ、木綿を詰めた綿入れを羽織り、さらに藁(わら)をはさんだ蓑(みの)や羽二重(はぶたえ)、袴を重ねることで、外気とのあいだに断熱層を形成した。手袋や脚絆(きゃはん)にも藁を二重に詰め、凍てつく風から身を守った。
屋内の暖房は、土間の囲炉裏と、座敷に持ち込める携帯型の火鉢が中心。囲炉裏は薪火で煮炊きを行うと同時に、煙が屋根裏を抜けることで家全体をじんわり暖めた。一方、火鉢は炭を燃やすだけでなく、傍らの「ごとく」(五徳)にやかんや鍋を置いて湯を沸かす調理具としても活用され、家族や来訪者が火を囲んで語らいながら暖を取ったとされる。
夜の寝具も多重構造だった。藁の敷布団のうえに綿入れ掛布団を数枚重ね、金属製のやかんや陶器の湯瓶を湯たんぽ代わりにして足元に入れることで、温もりを布団内に閉じ込めた。
食事もまた「体内暖房」の役割を果たしていた。朝晩には熱々の粥、居間の囲炉裏ではおでんや湯豆腐などの鍋ものを煮込み、血行を促す甘酒や酒で身体を温める。冬季の屋台では、蕎麦やうどんが「モバイル暖房」として庶民に親しまれていたというわけだ。
野外で働く足軽や職人は、藁編みの蓑や手甲(てこう)、雪用の高歯の木靴を駆使。野宿時には、小型火鉢で温めた石に座って短時間ながら暖を取る「サバイバル術」も伝わる。
さらには、年末の「すす払い」や季節の市(いち)などでは、路地や広場に即席の焚き火が組まれ、人々は自然に火の周りへ集結。焼き芋や魚を火にかざし、隣近所と雑談や物々交換を楽しみながら、寒さをしのぎつつ共同体としての団結を深め、地域の伝統や情報を伝承する場ともなっていた。
これに対し現代では、高断熱の住宅に各部屋エアコンや床暖房が標準装備され、個人や家族単位で暖を完結させがち。リモートワークで自室にこもる時間が増え、かつて火鉢やこたつを囲んで交わされた「住民同士の暖の共有」関係は希薄になってしまった。
江戸の極寒生活は「重ね着による物理的保温」「囲炉裏・火鉢による住居内暖房」「食事を通じた体内発熱」「簡易暖房具を駆使した機動的暖取り」という四本柱で支えられていた。当時の知恵と工夫を振り返ることは、現代の便利さを享受しつつも、暖を通じた「人と人とのつながり」を見直すヒントになるのではないだろうか。
(ケン高田)