全日本プロレス一覧

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【29】アンドレ×ハンセン「伝説の田園コロシアム大会」

 1981年春に勃発した新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き戦争は、両団体のトップヒールのアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンが入れ代わる形でほぼ互角だったが、観客動員数を伸ばした...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【28】引き抜き戦争の煽りを食った国際プロレス崩壊

 新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜けば、全日本プロレスはタイガー・ジェット・シンを引き抜き、トップ外国人ヒールが入れ替わった1981年、両団体の戦争は激化の一途を辿った。  あくま...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【27】全日本の報復は「シン」引き抜きから

「いろいろあっても、お互いの立場を尊重していた業界じゃないですか。それが相手のトップスターを取るという喧嘩の仕方をしてくるなら、こっちもやらなきゃいけないということで、その後にすぐに報復措置に入りまし...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【26】ブッチャーに続いて「全日本第3の男」を引き抜き

 1981年5月8日、新日本プロレスの川崎市体育館大会に現れた、全日本プロレスのトップ外国人アブドーラ・ザ・ブッチャー。アントニオ猪木が提唱する世界統一構想IWGPに賛同したという建前だったが、実際に...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【25】新日本「ブッチャー引き抜き」の激震!

 1980年、アントニオ猪木は異種格闘技戦を打ち切って、スタン・ハンセンという新ライバルとの抗争で純プロレスに軸足を戻し、ジャイアント馬場は愛弟子ジャンボ鶴田時代の足音を聞きつつ、3度目のNWA世界ヘ...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【24】マンネリを防いだハンセンの登場

 力道山亡きあと、1970年代の日本プロレス界を牽引したジャイアント馬場とアントニオ猪木は、その最後の年の79年を、7年8カ月ぶりにコンビ復活、馬場は2度目のNWA世界ヘビー級王座奪取、猪木は日本人初...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【23】馬場、猪木が相次いで米メジャー王座に

 1979年8月26日、東京スポーツ新聞社創立20周年記念事業として日本武道館で開催された「プロレス夢のオールスター戦」では、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が7年8カ月ぶりに実現した。  ...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【22】1万6500人が酔いしれた「BI砲復活」

 1971年12月7日に札幌中島スポーツセンターでドリー&テリーのザ・ファンクスに敗れて以来、7年8カ月ぶりにジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が復活した79年8月26日、日本武道館での「プロレ...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【21】「夢のオールスター戦」が実現

 新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス‥‥当時の男子団体が一堂に会した、1979年8月26日の日本武道館における東京スポーツ新聞社主催「プロレス夢のオールスター戦」は伝説の大会として歴史に刻ま...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【20】馬場と猪木「オールスター戦会見」での舌戦

 1979年3月8日、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の会談が東京・六本木の中華店「梅紅」で実現した。2人で同じテーブルに着くのは71年11月に日本プロレスの改革について話し合って以来、実に7年5カ月...

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