食文化史研究家・永山久夫氏は、戦国武将たちの食生活は男たちの心身を作る大切な要素であったと断言する。
「現代は女性や性行為に興味がない男性が増えて、日本の国自体も、国際的に地盤沈下して元気がありません。男性ホルモンが低下しているからです。戦国武将たちは、側室を大勢持って精力絶倫。そのエネルギーが天下取りや出世につながっていた。男性ホルモンは野心や向上心を作ります。男性ホルモンを増やしていくのは、やはり食事です。そういう観点からすると、グルメナンバーワンは徳川家康で、その次は豊臣秀吉だと思います」
家康は栄養価の高い麦めしを主食に、ニンジン、大根、ゴボウなどの根菜類に加え、鷹狩りで捕った鶴や雉、鴨の肉と一緒に八丁味噌で煮込んだ「鳥鍋」を好んで食べていた。
「鳥の胸肉には男性機能を高めるのに必要なアルギニンが豊富に含まれ、豆味噌にも、精子の素になるアルギニンやアミノ酸が多く含まれています。家康は、側室100人とも言われる秀吉ほどではないが、たくさんの側室を持っていた。その側室たちの満足する顔を見たかったんだと思います。最後に子供を作った年齢が66歳。さらにスゴイのが75歳で死ぬ寸前まで健康であったこと。つまり健康寿命が当時としては、奇跡的な75歳でした。
秀吉は織田信長の下で戦った頃は、首にニンニクをぶら下げていたそうです。相当臭かったと思いますが、賤ケ岳の戦いの時、岐阜・大垣から近江までの50キロ余の距離をわずか5時間で行軍したといわれます。それを可能にしたのは、沿道の庄屋たちに作らせた握り飯を食べながら生のニンニクをかじったこと。ただ、秀吉は老境に至って胃腸が弱ってからは、消化のいいコメを細かく砕いた『割り粥』しか食べられなくなります。
そこへいくと、家康は死ぬ間際まで麦めしを食べていた。75歳の4月に亡くなりますが、その年の正月には鷹狩りに行って、そこで『鯛の天ぷら』を食っている。その食あたりも影響し、亡くなりますが、鷹狩りには側室を連れて行っており、精力、体力共に元気だった」
河合氏によれば、
「天ぷらを食べて体調を崩したのは事実ですが、本当の死因はそれ以前から患っていた、おそらく胃ガンなどの病気によるものだったと考えられています」
との説も。
家康は、商人の茶屋四郎次郎から京で流行っている珍しい料理として鯛の天ぷらを聞き、すぐに作らせたところ、気に入って食べすぎた。新しい食に貪欲なグルメぶりがうかがえる。
そして、永山氏が家康、秀吉に次ぐグルメ武将として挙げるのは、加賀100万石の基礎を作った前田利家だ。
「利家は、正室のまつとの間に11人もの子供をもうけています。まつは平均寿命が38歳といわれた戦国時代にあって71歳まで生き、利家も62歳まで生きたご長寿夫婦。2人とも尾張出身で、やはり家康や秀吉と同じ大豆100%の豆味噌文化で育ったことが大きい。秀吉の天下統一が完成した文禄3年(1594)には、秀吉を自邸に招いて13品目にわたるご馳走を振る舞った中に、秀吉が好んだ大根、ゴボウ、里芋などの根菜類を豆味噌で煮込んだ『あつめ汁』という味噌汁があった。ほかに『ぢん』と呼ばれた鰯や鯖の干物を削ったものや、地元加賀のタラ、ブリ、蛸などもふんだんに供されたのです」
「あつめ汁」は、伊達政宗なども客人のもてなしに必ず出していた。
「政宗は味噌を何より研究した人で仙台味噌を作り、その味噌を使って『あつめ汁』を作っていました。『伊達治家記録』には、全国の美味、珍味を集めて、その料理のすべてを考案して、味見から配膳まで行ったとあります。『あつめ汁』には、アワビ、つみれ、鯛、大根、ゴボウ、筍、ナマコ、蒲鉾、さらに鶏肉などが入っていました。これを本膳として、鳥の手羽を使った『鳥汁』に加えて、『鯛のなます』『ねぎの酢味噌和え』や『納豆』などが並んでいました。政宗の晩年の言行録である『命期集』では、『馳走とは旬の品をさりげなく出し、主人自ら調理して、もてなすことである』と語っています」(永山氏)
明智光秀は、戦国時代に流行した「汁講」という、主催者が味噌汁と酒肴を用意して、招かれた人が各々食材を持ち寄る味噌汁パーティーをしばしば行っていた。光秀の浪人時代には、貧しくても夫に恥をかかせてはならないと、妻が密かに自分の髪を切って売り、豪華な酒肴を用意したというエピソードが「名将言行録」に残っている。
一方、織田信長は、名古屋の豆味噌文化で育っているので、味は濃いものしか評価しなかった。桐畑氏が言うには、
「京都の三好家に仕えた料理人が信長に料理を出した際、信長は京都の薄味が全然ダメだったみたいで、その料理人を斬ってしまえとキレまくります。料理人はもう一回だけ料理を作らせてくれと懇願。今度は濃い味の料理を出したら上機嫌になったという逸話があります。食べ物に関して信長がすごいところは、西洋のものをどんどん取り入れて食べているところです。日本人で初めてビスケットを食べたとか、ルイス・フロイスから金平糖を献上されて、いろいろな人に配っていたり。酒があまり強くなかった信長は、甘党のグルメだったんだなと思います」
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「日本三大幕府を解剖する」(朝日新書)。
桐畑トール(きりはた・とーる)72年、滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演、「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。
永山久夫(ながやま・ひさお)32年、福島県出身。食文化史研究家。古代から明治までの食事復元研究、長寿食研究の第一人者。大河ドラマ「春日局」などの食膳の時代考証なども担当。著書に「たべもの戦国史」「武士のメシ」等多数。