2月7日に最終回を迎えたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。最後まで目が離せない展開が続いたが、「本能寺の変」以降、織田信長の首や遺体がどうなったのかは、現在でも最大の謎のひとつと言われている。
光秀としては、討ち取った証拠に信長の首が絶対に必要なのだが、懸命の捜索にもかかわらず、首どころか遺体すら見つけることができなかった。ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスによれば、信長の遺体は燃えて灰燼に帰したことになっている。
しかし現在、京都市上京区の阿弥陀寺には、信長の遺骨を納めた墓がある。
阿弥陀寺を開山した清玉上人は信長とは昵懇の仲。同寺の記録「信長公阿弥陀寺由緒之記録」によれば、清玉上人が急を聞き、僧徒約20人を連れて本能寺に駆けつけた時にはすでに信長は死んでいた。裏手の藪の中で織田家の近習(きんじゅう)らが信長の遺体を焼いていたので頼んで骨をもらい、法衣に包んで持ち帰ったのち、阿弥陀寺で供養したとある。
「光秀に首を渡すな」と遺言したと言われる信長は、火を放った寺の業火によって灰燼に帰したのか、火葬にされたのかはともかく、焼けてしまったことは確かなようだ。
戦国史に詳しい歴史芸人の桐畑トール氏は信長の遺体の謎を知るべく、地元滋賀の同級生の消防士に「人間ってどのくらい燃えるもの?」と禁断の取材を敢行。すると「一般的に火災での遺体は真っ黒こげになってしまい、性別も不明、個体の確認すら厳しい場合がある」という返答。さらに「年配の人ほどよく燃えて、人が焼けると大体、ボクシングのファイティングポーズみたいに両腕を上げた状態になる」と、「科捜研」ならぬ「火葬研」の話まで披露してくれた。
同じような姿になった焼死体の中から、信長の遺体を見つけるのは至難の業だったことになる。