「日本の武将と念持仏」秘録(4) 武田信玄「不動明王」の“演出”

 上杉謙信のライバルとして川中島で何度も相まみえた武田信玄も、やはり出家し仏教に帰依した武将である。宣教師のルイス・フロイスによれば、信玄は1日に朝昼夕と3回拝んでいたといい、数多くの神仏を信仰していた中でも、特に拝んでいたのが不動明王像。現在、武田家の菩提寺である恵え 林寺(山梨県甲州市)にある「武田不動尊」である。39歳で出家して「信玄」を名乗った時、京都の仏師を呼んで自身の等身大の姿を彫らせたところ、自然に不動明王になった。仏像の制作中に信玄は頭を剃ってその髪の毛を像の胸に塗り込めて彩色したと伝わる。

「風林火山」の旗のように、瞬く間に甲斐から信濃、駿する河がの3国、上野国の半分までを版図とした信玄は、謙信とは逆に不動明王の力を得て最強の武将となることを願ったのだろうと、戦国武将好き芸人の桐畑トール氏は想像する。

「不動明王の件は、仏師の信玄へのヨイショというか忖度もあったんでしょうし、信玄は戦に出る前に占いもやっていて、わざと悪い目が出ないように細工していたという逸話も残っていますから、兵の士気を高めるための演出もあったのではと思いますね(笑)。上杉謙信には『泥足毘沙門天』の有名な逸話があります。謙信が戦から帰ってきて毘沙門堂に入ると、毘沙門天像の足に泥がついているのを発見して、戦場に来て毘沙門様が加勢してくれたんだと思ったというエピソードですけど、助けてくれたのは自分が化身だと言ってる毘沙門天なのに、その辺は矛盾しないのかという疑問もありますけど(笑)。大酒飲みで馬の上でも酒を飲んだという『馬上杯』でも有名な謙信。神様というよりは、どこか人間くさいエピソードで、謙信は信玄のように戦で領地をぶん取って家臣に分配するようなことをしていません。頑張っても給料が全然上らない会社みたいなものですけど、それでも何とか越後が治まって家臣たちも従っていたのは、毘沙門天の加護だけじゃなく、謙信の人間的な魅力があったからだとも思いますね」

 上杉謙信に仕え、その死後は上杉(景勝)家に忠誠を尽くし義に生きた上杉家家老の直江兼続は、その兜の前立てに「愛」の一文字を掲げ、大河ドラマ「天地人」では、妻夫木聡演じる兼続のそのロマンチックな出で立ちが話題となった。だが、河合氏はその愛の意味には諸説あると説く。

「この愛の字は、敬愛した禅師の教えからであるとか、『愛染明王』、さらに謙信も戦勝祈願したという『愛宕権現』から取ったものとも言われています。いずれも〝愛〟の字がありますが、私たちが現在思うロマンチックな愛という意味ではなかったようです」

 戦国武将の中でも、人気が高い真田幸村(信繁)の強さの秘密は、彼が念持仏とした「地蔵菩薩」にあるのではないかと高橋氏。

「幸村の念持仏と伝わる『地蔵菩薩』は、今は京都の高松神明神社の地蔵堂に祀られています。仏教の教えに人間は、悟りを開かない限り『六道』という6つの世界(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)を何度も生まれ変わり輪廻転生を繰り返すとされていますが、地蔵菩薩は六道にいる一切の衆生を救済すると言われ、仏教で禁じられている殺生を生業としている戦国武将には、たとえ地獄に堕ちても救いの手を差し伸べてくれるありがたい神様ということになります。幸村が地蔵菩薩を信仰していた証が旗印としていた『六文銭』。六文銭は、三途の河を渡る時の渡し賃で『六道銭』とも言われます。大坂夏の陣では鬼神のごとく徳川の本陣を襲い、決死の猛突撃を敢行しますが、家康の首を取る一歩手前まで迫るところで玉砕します。その死をも恐れない強さは、必ず地蔵菩薩に救われるという信念からの突撃だった私は考えています」

 桐畑トール氏に気になる有名軍師らの念持仏を挙げてもらった。

「豊臣秀吉の天才軍師と言われた竹中半兵衛の念持仏は阿弥陀様。半兵衛らしいなと思いましたね。半兵衛は色白で女性のような風貌だったと言われていますから、どことなく女性的な優しい阿弥陀様をお守りにしていたのかなと思います。

 武田信玄に見いだされた山本勘助は、大河ドラマの『風林火山』でも描かれていましたが、摩利支天ペンダントを持っていました。摩利支天という神様も面白い。女性のような形時もあれば、猪を踏みつけて8本の手に武器や法具を持つ勇ましい男神の形をしていたりして、日本では護身と蓄財のご利益があるとして、多く武将が信仰しています。楠木正成から始まって、今川義元、毛利元就、前田利家、立花宗茂、徳川家康、柳生宗矩などが挙げられます」

 高橋氏は、念持仏を見て回り、「武将と念持仏は一心同体であり、己の生き様を仏像に投影していた」と確信する。

 念持仏はいかに死ぬかということだけではなく、「どう生きるか」までを託した対象でもあったと言えそうだ。

 神も仏も実のところ、己の中にあることを念持仏は教えてくれる。

(つづく)

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「平安の文豪」(ポプラ新書)。

高橋伸幸(たかはし・のぶゆき)北海道出身。歴史探偵家。「一個人」「歴史人」などの編集長を経て独立。著書に「戦国武将と念持仏」(KADOKAWA)、「戦国の合戦と武将の絵事典」(成美堂出版)などがある。

桐畑トール(きりはた・とーる)72年滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演、「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。

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