海外への輸出量が13年連続で増加しているように、今や日本酒は世界に広がりをみせている。だが、輸出重視に傾いて国内の呑兵衛たちを蔑ろにしているわけではない。伝統を受け継ぎながらも新たな可能性を追求する造り手たちに「うまい日本酒はどこにある?」の著者で作家の増田晶文がエールを送る。
搾ったばかりの新酒を蔵元が差し出す。猪口を受け取った私は口に含んだ。
味わいにどこか険があり、うっすらと、翳を感じた。作家にとって「文は人なり」ならば、酒の風味には蔵の在り方が如実に出てしまう。酒は苦いか、しょっぱいか。喜色満面ではいかぬ業界の事情を知るだけに、私は黙って猪口を返した。 日本酒の国内需要がさっぱり振るわぬ。一方、輸出は好調で右上がりを続けている。昨年度の輸出総額は474.92億円、総量が3万5895キロリットルだった。主要輸出先は中国に北米(アメリカ、カナダ)、香港の順で全体の7割近くを占める。
日本酒に最もたくさんカネを払ったのは中国、量だと米国。近年は韓国、台湾や東南アジア諸国の伸長が著しい。有名酒販店のオーナーはこういっていた。
「米食文化がベースにあるアジアの国々で日本酒人気が高いのは当然でしょうね。アメリカも寿司をはじめ日本食ブームが定着して、おにぎり、うどん、豆腐、粕漬なんてのが急速に一般化しています」
中国で日本酒が金満家に呑まれているというのは見逃せない。他国でもけっこうな価格で取引されている酒は多いという。 欧州諸国も伸び率は堅調。英国を含むEU全体だと金額なら4位、数量で6位に相当する。だが、件の蔵元は苦笑してみせた。
「やっぱりフレンチにはワインが合う。日本酒は敵いません。それを考えるとヨーロッパで日本酒を売るのは簡単なことではない。中国やアメリカに的を絞った路線が〝正解〟です」
自国ワイン消費の低調に悩む仏と伊政府が日本酒にいい顔するわけがない、という意見も耳にした。日本酒が売れ始めればナンだカンだとイチャモンをつけてくるに決まっている‥‥。
中国だって油断禁物。この国は原発事故にかこつけ宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、新潟、長野、千葉、東京の10都県産日本酒を「今も」輸入禁止にしている。先般はホタテをはじめ日本の海産物をシャットアウトした。日本酒をいつ政治の道具にするか、わかったもんじゃない。
それに、輸出重視に傾いて日本国内の呑兵衛を蔑ろにする蔵があるとすれば、これこそ本末転倒、酒瓶の並ぶ冷蔵室に入ってよ〜く頭を冷やしてほしい。
だが、もちろん国内の地酒蔵を見渡せば有為の人たちが酒づくりに勤しんでいる。この事実がうれしい。
熊本県で「花雪」を醸す藤江勇輔杜氏もそのひとり。彼は38歳、「美少年」でも醸造責任者だったから杜氏歴5年になる。
「プロなんだからうまい酒を醸すのは当然。毎日が真剣勝負のつもりで蔵に入っています」
藤江杜氏に連絡すれば「洗米をしていました」「麹室にいました」「櫂入れをします」、早朝だろうが夜半でも働いている。ちゃんと家に帰っているのか、余計な心配をしてしまう。
だが彼は声を弾ませた。
「僕が先頭に立たないと酒はつくれませんからね」
「花雪」は出荷と同時に完売、熊本以外ではなかなか手に入らない人気酒。ふわりとした呑み口、甘味を軸にクリーミーさが広がる。そのくせ淡雪のようにスーッと消える不思議なキレ。クセになる風味、リピーター続出なのも納得できる。
今季は県内外の「花雪が呑みたい!」の声に押されて増石作戦実行中だ。
「僕の開発する『フィジー イー パッション』『紫乃茘枝』も忘れないでください。瓶内二次発酵の発泡系も考案中です」
酒を醸すのが愉しくて仕方がない。そういう藤江杜氏を私は応援したい。
【今週の厳選5銘柄】
①「花雪」1980円 河津酒造(熊本県)
ふわりと立ち上がるクリーミーな風味がこの酒ならではの個性。決め手となるマイルドな甘さがいい。その裏で辛酸苦渋、うま味が協働し全体を支える。意外に濃厚、それでいて穏やか。ビギナーから呑兵衛までを魅了する逸品。
②「白老 若水純米しぼりたて生酒」1800円 澤田酒造(愛知県)
待望の今シーズン初しぼり、新酒ならではのフレッシュさが身上。ピチピチとした風味が口福を運んでくれる。今年はことのほか酸味のイキがよく、甘味と辛さも負けじと存在感をアピールする。地酒の原点回帰を謳うこの蔵の自信作。
③「京の春 うらなぎ 特別純米生原酒山廃仕込み」1980円 向井酒造(京都府)
伊根湾に面した蔵の辣腕女杜氏が、丹後の山里で育った無農薬、化学肥料ゼロのコシヒカリを醸したナチュラルな酒。甘辛酸がむくりと立ち上がって押したり引いたり、濃厚な風味を演出する。肴は魚良し、肉類好し、野菜善しの快作!
④「幻の瀧 飛雪」6050円 皇国晴(みくにはれ)酒造(富山県)
朝靄のように広がるフルーティーな吟醸香、まず甘さが立ち、すぐ追いかけてくる辛味。後口が締まって感じるのは酸味の手柄。豪華な外貌と価格、これぞ大吟醸酒という風味が相まってプレミア感たっぷりの酒に仕上がった。
⑤「月の輪 特別純米生原酒」1804円 月の輪酒造店(岩手県)
穏やかに薫る果実香、次いで甘さが走り出すものの、しっかりした辛さのおかげで風味はダレない。スルリと喉に流すより、複雑な味の絡み具合をゆっくり愉しみたい。本品は生原酒ゆえ冷酒向き、燗酒を堪能するならこの蔵の生酛を。
*価格は四合瓶で税込み、澤田酒造は希望小売価格。購買の際は蔵へ直接お問い合わせください。
作家・増田晶文(ますだ・まさふみ)作家。昭和35年生まれ。小説執筆の傍ら今も日本酒取材を続ける。関連書籍に「うまい日本酒はどこにある?」「うまい日本酒をつくる人たち」など。最新作は歴史小説「楠木正成 河内熱風録」(いずれも草思社)。