作家・増田晶文が厳選「うまい日本酒を愉しもう!」(3)昭和の酒は全般に甘かった

「うまい日本酒はどこにある?」「うまい日本酒をつくる人たち」の著者で作家の増田晶文が今週の厳選銘柄とともにお届けする第2回目は日本酒の歴史。昭和の頃は酒といえば日本酒だったが、バブル時代にワインやカクテルブームが到来。そんな世の中の流れとともに、日本酒は変化を遂げてきた─。

 私が日本酒を初めて呑んだのは三つの砌、母にいわせると、盃を呑み干した途端に真っ赤になってひっくり返ったそうだ。

 あれから60年‥‥先日は神楽坂でうまい酒を鯨飲、その後、ナニがどうなったのやら、気がついたら弊屋の玄関でひっくり返っていた。

 読者諸氏も日本酒にまつわる思い出は尽きぬであろう。その大半は「キャッ」と叫んで面伏せる行状だとご推察申し上げるが、いかがなものでありましょう。

 酒は世につれ、世は酒につれ─私たちオッサンどもが呑んできた酒を振り返ると、そのまま日本酒の近現代史となる。

 現在の日本酒業界が窮状に喘いでいることは前回に書いた。昔日、日本酒の我が世の春は、私たちが生まれ、子ども時代を過ごした昭和中期から後期。灘・伏見の大手はもちろん、何千とあった地酒蔵もつくれば売れる好況だった。

 もっとも酒の選択肢は少なくビールに洋酒、ワインくらい。おかげで日本酒は大きな顔ができた。私の実家は水商売を営んでいたのだが、客が「酒をくれ」といったら「日本酒」を意味していた。しかも、冷蔵した酒ではなく燗酒。「アルコール≒日本酒≒燗酒」という時代があったことは、食文化史に書き留めておくべきではないか。

 さらに慶弔の場や贈答品に日本酒は欠かせなかった。台所の流しの下には一升瓶が常備され、料理に使うばかりか、お母ちゃんも時おりクイッとやっておりました。

 とはいえ、往時の酒は全般に甘かった。作家の開高健やドイツ文学者の高橋義孝ら名うての酒呑みたちも「ダラシなくて、ネバネバしていて」やら「ほとんど喉に通らないほど甘い」と嘆いている。

 さらに開高は「ブドウ糖のアルコール割」と酷評した。その要因はたっぷりの添加物。中でも三倍増醸清酒(三増酒)は醸造アルコール、糖類、酸味料、グルタミン酸ソーダなどで酒を3倍に増やしていた。これは敗戦後の米不足に対応した製造法なのだが、高度経済成長期にもかようなまずい酒がまかり通っていた。

 私たちの世代にとっては、大学生、社会人になり日本酒を嗜み始めた頃の悪夢が蘇るのではなかろうか。

 悪貨が良貨を駆逐してしまった日本酒業界、当然のことながら醸造量、売り上げとも坂道を転がり始める。やがてバブル経済が花咲き、ワインやカクテルブームの到来。シャンパン、ブランデーの認知度もアップする。カネさえ出せば世界の酒を愉しめるようになった。

 こんな時、誰がわざわざ日本酒に手を伸ばす?

 窮地の日本酒業界に一矢を放ったのは、昭和末期から平成にかけての淡麗辛口ブーム。牽引車は越後酒だった。すっきりした口あたりで酸味の角が立たず雑味も少ない。これは三増酒へのアンチテーゼといえよう。前後してビールのドライブームが巻き起こっているから、日本国中が辛口に心酔しておったわけだ。

【今週の厳選5銘柄】

①「想天坊 外伝辛口純米酒」1199円 河忠酒造(新潟県)

スルリと呑めるスマートさが身上だが、決して淡泊、浅薄ではない。上品で軽やか、キメの細かな味わいは特筆もの。高品位の辛口なので和洋中どの料理にも合わせることができる。本品に加え「純米大吟醸」「じゃんげ」もお勧め。

②「天寳一 特別純米八反錦」1485円 天寳一(広島県)

吟醸香が鼻先をくすぐり、口に含めば「うまい」と声が漏れる。複雑な風味を酸味と辛口の味わいがスッキリまとめあげる。以前は濃厚が勝る呑み口だったが、近年はシャープさが際立ってきた。辛口を堪能するには冷酒か燗酒で。

③「森嶋 山田錦純米吟醸生酒」1815円 森島酒造(茨城県)

平成‐令和のトレンド「高酸甘薫」を踏まえながら類例の酒とは一線を画する逸品。品のいいフルーティーさ、甘辛のバランスとさわやかな酸味、生酒ならではの発泡感にニンマリ。苦み、渋みの配分の絶妙さが抜群のキレを生む。

④「初孫 いってつ(一徹)生酛」1320円 東北銘醸(山形県)

酸味と辛口の味わいに、まろやかな甘味が絡む。濃厚だがクドくないので盃が重なる。それが初孫の生酛ならではの妙味。冷や(常温)で純米酒のコク、燗酒なら辛口の醍醐味を堪能できる。これからの季節は鍋料理にぴったり。

⑤「金陵 濃醇純米」1155円 西野金陵(香川県)

金毘羅様の御前酒は淡い山吹色をしている。程よい酸味とコク、じんわり滲むうま味が調和。この酒のクラシカルな佇まいは、甘酸っぱくてフルーティーな酒が大手を振る今だからこそ再評価されるべき。冷や(常温)でもいける。

*価格は四合瓶、税込み。購買の際は蔵へ直接お問い合わせください。

作家・増田晶文(ますだ・まさふみ)作家。昭和35年生まれ。小説執筆の傍ら今も日本酒取材を続ける。関連書籍に「うまい日本酒はどこにある?」「うまい日本酒をつくる人たち」など。最新作は歴史小説「楠木正成 河内熱風録」(いずれも草思社)。

ライフ