戦国武将「墓と菩提寺」の謎を解く【3】伊達政宗の副葬品は鉛筆と純金ブローチ

 歴史家の河合敦氏と歴史タレントの小栗さくら氏に、歴史ファンならずとも、日本人なら一度は行ってほしい「戦国武将墓」ベスト10を挙げてもらった。

【壮麗豪華な行くべき墓】

(1)徳川家康・日光東照宮
(2)伊達政宗・瑞鳳殿
(3)織田信長・本能寺
(4)上杉謙信・上杉家廟所

「伊達政宗の墓は、仙台城下の経ヶ峯という小高い山の中にある瑞鳳殿(ずいほうでん)という豪奢な廟所です。桃山様式の華麗な彫刻が施された御霊屋は戦前までは国宝に指定されていましたが、仙台空襲で焼失し、1979(昭和54)年に再建されています。その副葬品を見ると、南蛮製と思われる純金のブローチ、銀のペンダント、まだ日本では珍しかった鉛筆など、おしゃれで流行り物好きな〝伊達者〟の政宗らしい品が見られます」(河合氏)

 上杉謙信は、厠(トイレ)で脳卒中になり倒れて死んだようだが、春日山の城内に鎧のまま漆で固められ、甕に入れて埋葬される。その後、遺骸は越後の林泉寺に再び埋葬されます。上杉家は秀吉の命令で越後から会津に120万石をもらって移ることになり、その後、関ケ原の戦いで徳川に敵対した上杉家は、30万石に減らされて会津から米沢に移ることになる。謙信の墓も再び移動、米沢城本丸に御堂を建立し真言宗の様式で祀られたという。その後、謙信の遺骸は、米沢藩主上杉家廟所に眠ることに。

「鬱蒼とした杉林の中に上杉家歴代の墓がずらりと並んでいて壮観です」(河合氏)

【ユニーク墓】

(5)直江兼続・ブロック墓
(6)前田利家・土饅頭墓
(7)津軽為信・未亡人墓

 謙信の死後、上杉家を継いだ上杉景勝の重臣で、上杉家に謀叛の罪を着せようとする家康に対し、その非を鳴らす「直江状」を送り、家康を激怒させたという直江兼続の墓は林泉寺にある。

「兼続の墓石の形がとてもユニーク。四角い墓石に穴が3つ空いていて、ブロックみたいな形をしています。いざという時にはこの石を積んで盾にし、防御壁にできるようにしたと言われています」(河合氏)

「兼続のお墓は雪国の風雪に耐えられるようにということなのか、屋根のある家のような作りで、『万年堂』と呼ばれる米沢地方独特の形をしています。その中に五輪塔が収められ、兼続の墓の隣には奥さんの墓もあって、その大きさが兼続の墓と同じなのです」(小栗氏)

 前田利家は豊臣の重鎮で家康を抑えられる唯一の人物だったが、慶長四(1599)年に死去し、家康天下取りの大きな要因となった。京都で死んだ利家の遺体は加賀に運ばれ、野田山という標高170メートルの山中の墓地に葬られる。河合氏が言う。

「前田家は一度も転封されず続いた大大名ですから、野田山墓地も43万㎡もの広大な敷地で、墳墓の形は古墳のように土を盛った土饅頭。一見の価値ありです」

 由来がユニークなのが、津軽を統一し、初代弘前藩主となった津軽為信の墓。

「仏教を信じず、死後は僧侶などの手を借りずに家族と家臣だけで京都の六条河原で遺体を焼けと遺言。遺骨は、なんと何度も側室にしようとご執心だった藤代御前という美しい未亡人の墓の上に立っています。藤代御前は、為信の求婚を断り続けて、結局は為信に滅ぼされます。彼女は末代まで祟ってやると言ったので、この怨念を抑えるために藤代御前の墓(弘前・革秀寺)の上に為信の墓を建てたとも伝わっています」(河合氏)

 イヤハヤの執着墓である。

【キツイが行ってみたい墓】

(8)宇喜多秀家・島流し墓
(9)豊臣秀吉・500段墓
(10)加藤清正・登山墓

「豊臣五大老の1人・宇喜多秀家の墓は、八丈島にあります。関ケ原の戦いに敗れて八丈に流され、ついに許されることなく八丈島で亡くなります。かつて私が訪れた時には、青い海と空の下、真っ白い玉砂利が敷かれた中に墓があり、供えられた花もハイビスカスのような南国の花。現地女性との間に生まれた秀家の子孫たちが建てた立派なもので、寂しい一生だったのかと思いきや、案外幸せそうな墓で印象に残っています」

 こう河合氏が語れば、

「奥さんの豪姫の菩提寺である金沢の大蓮寺には秀家の供養塔もあり、八丈島にも秀家と豪姫の石像が建てられていますし、どこかほっこりするものがありますね」

 と返す小栗氏。

「加藤清正の墓は、熊本城天守閣と同じ高さの中尾山中腹に葬られたことがわかっています。私も熊本城に行った時、墓を見たいと思ったのですが、地元の人に行くのが大変だと言われて断念しました」(河合氏)

 島田氏は日本の仏教は「墓参り教」であると喝破するが、近年、人々のお墓そのものへの執着はどんどん希薄になっているという。墓じまいや散骨、樹木葬などの話題を聞くにつけ、墓や遺骨に対する日本人の考え方が大きく変化してきているのを実感させられる。

 時を超えて今に眠る、これら戦国武将たちの墓に参り、その〝魂の在処(ありか)〟に心遊ばせるのも、ひとときの慰めとなるのではなかろうか。

島田裕巳(しまだ・ひろみ):53年、東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。日本女子大学教授などを歴任後、現在は作家、宗教学者。著書に、「創価学会」「日本の10大新宗教」「葬式は、要らない」などがある。

小栗さくら(おぐり・さくら):博物館学芸員資格を持つ歴史タレント。テレビ番組、講演などマルチに活動中。昨年12月「小説現代」に歴史短編小説を発表、22年春頃、歴史小説短編集発売予定。

河合敦(かわい・あつし):65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「関所で読み解く日本史」(KAWADE夢新書)。

*「週刊アサヒ芸能」1月27日号より

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