引き立ててもらえるように、愛され爺さんになるのが、老後ハッピーの絶対条件である。
関ヶ原で負け、2代将軍秀忠の引き上げで、最後は柳川の領地を取り戻し、敗者復活をしたのが立花宗茂。河合敦氏が続ける。
「徳川家光は宗茂が大好きで、6〜7年は家光に連れ回された晩年でした。島原の乱のあと、江戸に戻った宗茂を家光は待ちかねたように訪ね、池に舟を浮かべて釣りをしたりして夜まで過ごします。家光は自分が差していた脇差を宗茂に下賜し、よっぽど楽しかったのか、翌年もまた、宗茂の屋敷を訪ねています。高齢の宗茂を気遣い、自分の頭巾を宗茂に渡して、『誰の前でもこの頭巾を被っていていいからな』ということさえ言っている。じじい大好きの〝じじい転がし〟でしょう」
家光は、歴戦を戦い抜いた大物武将が話す武辺咄(ぶへんはなし)が愉しみだったとみえ、東北の雄・伊達政宗を「伊達の親父殿」と呼んで慕っていたという。家光が大名たちを集めて「私の代わりに将軍職を望む者があれば申し出ろ」と言うと、政宗がすかさず「もしそのような者が居れば、私がすぐに兵を率いて征伐いたします」と応じて、ゴマすり大名と陰口を叩かれていた。家光の時代には、もう謀反の疑いも晴れ、70歳で病を得て没している。
立花宗茂も伊達政宗も、晩年になって、若い人から過去の業績をリスペクトされ慕われるというのは、幸せこの上ない理想的な老後といえる。
他方、プライドや信念を捨てられなかった頑固者の福島正則は、関ヶ原合戦では西軍の石田三成が嫌いという理由だけで、徳川軍についた。
豊臣家がまさか政権から転落するとは考えていなかったので、その後、ことあるごとに徳川に反抗的な態度をとり、大坂の陣の時には、江戸に留守居役として留め置かれてしまう。後に、広島城を無断で修築したという武家諸法度違反の容疑をかけられ、広島五十数万石からわずか4万5千石の信濃・川中島に減らされてしまった。
頑固者の哀れな老後というほかない。
豊臣秀吉の晩年は、それまで側室200人余りを抱えていたにもかかわらず、跡継ぎが生まれなかった。そこへ突然、側室の淀殿が秀頼を産んでからは、狂気としか思えないような言動をするようになる。
「跡継ぎとして養子にしていた甥の秀次を謀叛の容疑をかけて殺してしまったり、朝鮮出兵で世界征服を妄想したり、京都醍醐寺で盛大すぎる花見をしたり。その2カ月後には病床について、最期は伏見城に五大老を集め、泣きながら『秀頼を頼む』と言って亡くなります」
河合氏のこの説明を受け、桐畑トール氏は「盛者の驕りと末路」に思いを馳せる。
「200人以上の側室がいても、誰一人妊娠しなかったのに、淀君だけが懐妊したというのは、おかしいんじゃないかと諸説ありますが、秀吉もうすうす自分のタネではないということに気づいていた説もあります。あれだけの栄華を極めながら当時、誰もがそう思いながらも、そのことを気づかないフリをして晩年を生きたのかと考えると、人前で脱糞、尿漏れを晒してみたり、精神を病むのも無理ないなと、なんとも切ないものがありますね」
秀吉に限らず、多くの大名家では跡継ぎ問題がネックとなって争いが起こっている。それを十分わかっていた徳川家康は、還暦を過ぎて天下を取ってから、すぐに征夷大将軍を息子の秀忠に譲り、徳川の政権がずっと続くということを天下に示したといわれている。
「大名や公家を抑える武家諸法度や禁中並びに公家諸法度など、幕府の基盤を整えた上で、75歳で安心して死んだ。最もいい形で老後を過ごしたといえるでしょうね」(河合氏)
若い頃には、出産経験のある年増の後家を側室にしていたが、年をとって48歳の時に34歳年下でわずか14歳の側室を迎え、最晩年には18歳の側室を伴って大坂の陣に出陣した。生涯で15人〜20人の側室をはべらせた家康。そのロリコン趣味を超えて子作りに励み、徳川御三家の基を造ったのはアッパレとしかいいようがない。ただし、
「ただ、健康のために粗食にしていたのに、最後に鯛の天ぷらを食べ過ぎて、恐らくは胃ガンで死んだというのは、なんだか悲しい。そもそも鯛の天ぷらを食ったことなかったのかなぁ」
と、桐畑氏は首をかしげる。安心安全を期し、「石橋を叩いても渡らなかった」家康だが、意外にも食べ過ぎがその命を縮めることになるとは─。
人生かくの如し。終活の極意、ここに極まれり!
小栗さくら(おぐり・さくら)博物館学芸員資格を持つ歴史タレント。大河ドラマの公式イベントほか、歴史テーマの音楽ユニット「さくらゆき」、小説、作詞、講演などマルチに活動中。
桐畑トール(きりはた・とーる)72年、滋賀県生まれ。「ほたるゲンジ」を結成。戦国マニア芸人による戦国ライブなどを行う。「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)のリポーターとして出演中。
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。近著:「最新の日本史」(青春新書インテリジェンス)。