戦国武将「墓と菩提寺」の謎を解く【2】石田三成は武将初の「高野山墓」を建立した

 高野山には信長、秀吉、家康、光秀、石田三成をはじめ、戦国武将たちの墓が数多ある。なぜ、武将たちはこぞって高野山に墓を作ったのか。墓への執着を解明する。

「高野山にはさまざまな寺の塔頭(たっちゅう)・支院があったのです。それらの寺のお坊さんたちは『高野聖』と呼ばれて、各地にお札を配り布教していて、戦国武将たちも高野山に墓を持つことになったようです。天界の1つである兜率天(とそつてん)で修行中の弥勒菩薩が釈迦入滅後の56億7000万年後にこの世に現れ、多くの人々を救済するとされていますが、弥勒を弘法大師が連れてくるという信仰があったので、武将たちは、弘法大師の近くに墓を作ったようですね」

 こう話す島田氏は続けて、

「中世、近世には、浄土を求めることが基本的な考え方でした。弥勒菩薩信仰は奈良時代からあり、弥勒菩薩が56億7000万年先の未来、地上に降り立ち、釈迦によって救われなかった人たちが皆、弥勒によって救われるというのが弥勒信仰です。しかし、そんなのを待ってられない。早く来てほしいので、そのためにいろんな供養が必要というわけです。高野山奥の院は、空海が入定(にゅうじょう)したがゆえにそこは浄土だという考え方で空海のそばに墓を設け、浄土に生まれ変わることを願ったのです。平安時代の終わり頃から武士が台頭するようになって、武士たちはいつ死ぬかわからないということから、浄土信仰が強くなっていきます」

 高野山に最初に巨大な墓を建てたのは、石田三成だと言われる。小栗氏いわく、

「三成の高野山のお墓は、生前に建てる『逆修墓(ぎゃくしゅぼ)』でした。建てたのは天正18年ですから、小田原征伐の頃です。まだ石高もそれほどではなかった三成なのに、当時としては最も大きな五輪塔を建てています」

 高野山に参ることは可能だが、行きたくても行けない墓もある、と小栗氏。

「関ケ原の合戦で敗れた三成、大坂冬の陣で戦死した真田信繁(幸村)の墓は、それぞれ京都の大徳寺、龍安寺にありますが、これらは現在非公開。行きたくても行けないお墓なんです」

 河合氏はその理由を、

「三成の遺体は京都鴨川でいったんは晒され、京都・大徳寺塔頭の三玄院に葬られています。徳川家が三成の墓を許さず、世間から隠されたことから現在も非公開とされ、お参りはできないのです。信繁の墓も、伊達政宗の家臣が大坂城にいた信繁の子供たちを東北に連れて行き、その後、娘の一人が東北から京都に戻ってから、石庭で有名な龍安寺の塔頭に信繁の供養塔を建てますが、これも非公開です」

■武田信玄「諏訪湖に沈めろ」遺言は無視

 ただ、武将たちの墓はありがたいことに、いくつもあるのだ。

「長野県上田市の真田幸綱(幸隆とも。昌幸の父、信繁の祖父)が開山した真田家の菩提寺の長谷寺にも最近、真田信繁の供養塔が建てられました。信繁のお兄さんの信之が、関ケ原で昌幸、信繁とは反対側の東軍について長野の松代藩主になりますが、上田から松代に移ってからは、読みが同じの長國寺(ちょうこくじ)に真田家墓所を作った。ここにも信繁と、大坂の陣で亡くなった息子の大助の供養塔があります。徳川時代に建てることは叶わず、大正時代に真田家11代当主によって建てられました。また信繁の娘たちも、お父さんの供養塔を建てています」(小栗氏)

 武田信玄は自らの死を隠せと遺言し、遺体は諏訪湖に沈めたと伝わっている。ところが河合氏によれば、

「実際には沈めることは止めたと、武田家の軍略などを記した書『甲陽軍鑑』にも書かれています」

 黒澤明監督の「影武者」では朝もやの中、舟に積んだ信玄の遺骸を諏訪湖に沈めるシーンが印象的だったが、これは伝説ということのようで、実際は無視されていたのだ。河合氏は続けて、

「信玄の死因や死んだ場所も信州駒場のほかに諸説あり、それぞれ信玄塚やお寺がある。3年間の喪が明けた時に、嫡男・勝頼は山梨の菩提寺の恵林寺で葬儀を行い、信玄の墓も同寺にあります。骨は分骨されたという説があり、長野県佐久市の龍雲寺、甲府市の武田信玄公御墓所など複数の墓所があります」

島田裕巳(しまだ・ひろみ):53年、東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。日本女子大学教授などを歴任後、現在は作家、宗教学者。著書に、「創価学会」「日本の10大新宗教」「葬式は、要らない」などがある。

小栗さくら(おぐり・さくら):博物館学芸員資格を持つ歴史タレント。テレビ番組、講演などマルチに活動中。昨年12月「小説現代」に歴史短編小説を発表、22年春頃、歴史小説短編集発売予定。

河合敦(かわい・あつし):65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「関所で読み解く日本史」(KAWADE夢新書)。

*戦国武将「墓と菩提寺」の謎を解く【3】につづく

ライフ