歴史偉人の「リアル年収」完全調査〈武将たちの金使い〉前田利家は6つ玉そろばんを使って…

 稼いだ金をどう使うかは、上に立つ者の器量。今時の企業よろしく、内部留保に励む者、無駄遣いが過ぎる者、千差万別なのである。

 戦国好きの歴史芸人・桐畑トール氏が披露するドケチエピソードは――。

「家康は、三傑では一番の金持ちでぶっちぎりのケチ。白いふんどしだと使っているうちに汚れが目立つ、だったら最初から茶色か黄色にしとけって言ったり、息子がたくわんをもう一切れくれと言ったらお前はぜいたくすぎるって皆の前で叱ったりとか。座敷で相撲を取ったら畳が擦り切れるからと、畳を裏返しにしてやらせたり、ドケチ話はたくさんあります。しかも、あれだけの財を築いていながら、譜代の家臣たちには10万石くらいしか与えてない、有力家臣の筆頭とも言える井伊直政でも12万石が最高というドケチぶりです」

 桐畑氏は続けて信長に言及。

「信長は、おじいちゃんの時代から伊勢湾の商業都市を押さえてそこから税金を取ってて、信長が統一した尾張だけでも170万石もあったのでもともと金持ち。なにせ『永楽銭』という中国の明から輸入して当時流通していたお金のマークを旗印に染めていたくらい、『うちはお金持ちだよ』という家です。安土城を建てた時には、入場料取って城内を一般公開したりと、信長のお金の稼ぎ方はエグかった。名物と言われる茶道具、茶器をたくさん集めて、茶器に金以上の付加価値を付けたので、今でいえば仮想通貨を作ったようなものだと思います」

 家康が吝嗇家、信長が金儲けの名人であれば、秀吉はというと、

「秀吉もケチでしたが、聚楽第や豪華絢爛な黄金の茶室を作らせたり、使う時には出し惜しみしない。信長が討たれた後の『中国大返し』では、ありったけの金銀を兵に与えて素早い移動で明智(光秀)軍に勝利しました。元々、貧乏人の出なので、金をどう使っていいのかわからなかったのかな(笑)とも思いますね」(桐畑氏)

 また桐畑氏によれば、前田利家は22歳の頃に追放され、2年ほど浪人生活をした経験からか、金にがめついところがあったとか。

「奥さんのまつさんからは、ケチだケチだって言われてたみたいで、戦費などを自分で帳面につけていました。まるで社長自ら帳簿をつける中小企業みたいな感じですが、その時に使った6つ玉の算盤が前田家に残っていて、日本で現存する最古の算盤だと言われています」(同)

 上杉謙信は収入も多かったが、かなり散財もしていると、歴史家の河合敦氏は語る。

「武田信玄と5度も戦った川中島合戦が有名ですが、彼は、関東管領として正義のために戦っているという意識があり、北信濃の武将たちに助けを求められて出張っていきます。戦いが終わると謙信はそのまま越後に帰ってしまうので、その後また、北条氏などに取り返されてしまうということの繰り返し。無駄金を使っていますね」

 謙信の戦費の出どころについて、桐畑氏が付言する。

「越後は今でこそ日本一の米どころですが、そうなるのは江戸時代以降。謙信の頃の越後では青苧という植物の生産が盛んで、青苧で編んだ布は越後上布と呼ばれ、船や陸路で運ばれて、京都などで爆発的に売れたのです。謙信はその販売や船の通行に税金をかけて莫大な富を得ていました」

 片や、ライバルの武田信玄も甲州地方は米の耕地面積が少なかったので、収入の多くが金山にあったと見られ、その資金が武田の版図を広げるのに大きな役割を果たしたと言われている。

 蒲生氏郷は、信長から認められて信長の娘と結婚、信長の死後は秀吉に仕え、千利休の「利休七哲」の筆頭に挙げられる文武に秀でた武将。秀吉はその才能を恐れ、東北の抑えとして会津42万石(後に92万石に加増)に転封した。92万石という石高は、額面では現在の1400億円に近く、豊臣政権下では、徳川、毛利に次ぐ石高だった。

 会津はその後、伊達政宗に取られてしまう。政宗も砂金が採れる奥州で金山を懸命に探していたという。

 お金の使い方で、ユニークなのは、石田三成だ。

「彼は年貢米を量る時に普通の升の4割〜5割増しの升で量るとか、えげつない集金をしていますね」

 と、歴史エッセイストの堀江氏が言えば、三成と同じ滋賀県出身の桐畑氏が後を引き取る。

「名将の島左近を自分の石高(≒4万石)の半分の2万石を出して召し抱えたという逸話が有名ですが、それ以前に、まだ三成が500石しかなかった頃に、渡辺勘兵衛という豪傑を、自分の石高全部を与えて家臣にしているんです。三成は、『自分はいつか100万石の大名になるから、その時にはお前に10万石をやる』と口説きます。三成が佐和山城主になって19万石の知行をもらった時に、500石から石高を増やそうと言うと、勘兵衛は『殿が100万石の大名になるまで知行500石のままでいます』と加増を断ります。最後は関ヶ原の合戦で重傷を負い、三成に別れを告げに行って『いい夢を見させてもらいました』と言って自害します。大好きなエピソードですね」

 近年、友情や義に篤い人物として、三成が歴女たちに人気になっているのも〝むべなるかな〟である。

桐畑トール(きりはた・とーる)72年、滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演。「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)歴史エッセイスト。77年、大阪府生まれ。早稲田大学仏文学科卒。日本史、世界史を問わず「乙女の日本史」(東京書籍)、「本当は怖い世界史」(三笠書房)など著書多数。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊「徳川家康と9つの危機」(PHP新書)。

マネー