2007年、夏の甲子園、全国の観客の目は佐賀北に集まっていた。佐賀県立佐賀北高等学校、佐賀市内の公立校である。ご存知の通り、甲子園のトップ争いは通常、県外からも強豪選手をスカウトする私立校が占めている。そうした中で、この夏の佐賀北は、帝京をはじめとする強豪校を次々と下して決勝戦に臨んだ。その快進撃は佐賀弁で「とても」「非常に」を意味する「がばい」から、「がばい旋風」と呼ばれた。
ちなみにこの「がばい」という佐賀弁が全国的に認知されたのは、前年2006年に映画化された『佐賀のがばいばあちゃん』(著・島田洋七)によるものである。
迎えた決勝戦、対戦校は甲子園の常連でありプロ野球選手も数多く輩出している、広陵(広島)であった。下馬評は、圧倒的に広陵。そして迎えた八回裏、佐賀北の攻撃。この時点でスコアは4対0、広陵のリード。しかも、7回までの佐賀北のヒットはわずか1本。広陵のエース、野村祐輔投手(現広島東洋カープ)に完全に封じ込められている印象だった。
しかし、この回、投球数100球を超えた野村の制球が乱れはじめ1死のまま満塁。さらに四球で1点押し出し。まるで球場全体が「がばい旋風」を後押ししているかのようだった。だが、点差はいまだ3点。ここでバッターボックスに入ったのが3番打者、副島浩史(3年)であった。カウントは1ストライク1ボール。前の球が内角のボール、そこで副島は次の球は外に逃げるスライダーとヤマを張った。そして3球目、思い切り踏み込み、ヤマ通りに来た外角スライダーを思い切り打ち抜いた。ボールは左翼手の遥か頭上を越えていく。逆転満塁ホームラン。9回表、動揺を隠しきれない広陵を0点で抑えて、佐賀北は優勝を手にした。
まさにこの夏の甲子園の立役者、歴史に残る逆転満塁ホームランを打った副島浩史は、その後どのような人生を歩んだのだろうか。高校卒業後、福岡大学へ進学。大学野球では九州六大学リーグ戦にて活躍して、3年時には本塁打王、打点王の2冠を獲得。しかし、右肩を痛めて、現役選手としての自信を失っていったと当時を知るスポーツライターは語る。
「肩の怪我のこともあり、社会人野球へ進むべきかどうか進路を悩んでいたようです。悩んだ末に、地元の佐賀銀行に就職しました」
しかし、佐賀北で苦楽をともにしたチームメイトが高校野球の指導者を目指しているのを知り、銀行を退職する。
「教員採用試験を受けて、自らも高校野球の指導者を目指したんです。その後、4度の挑戦を経て、採用試験に合格。2018年に佐賀県立唐津工業高等学校に赴任して、現在も監督として指揮を執っています」(前出・スポーツライター)
かつて甲子園で奇跡を起こした男は、第2のがばい旋風を起こすべく、今もグラウンドに立ち続けている。