ジャイアント馬場一覧

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【16】旧ベルトか新日本版か!?アジア王座問題勃発

 1976年は新日本プロレスが格闘技路線、全日本プロレスは純プロレス路線と、完全に道が分かれた感があったが、アントニオ猪木はジャイアント馬場と全日本を攻撃することによって己の存在感をアピールできること...

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新日本VS全日本「仁義なき」プロレス50年闘争史【15】鶴田戦を見て天龍はプロレス入りを決意した

 1976年、アントニオ猪木は72年ミュンヘン五輪柔道の重量級&無差別級金メダリストのウイリエム・ルスカ、プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦を実現させて、プロレスの枠を飛び越...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【14】「格闘技世界一」猪木へ挑戦者が殺到!

 1975年の下半期には「全日本プロレス・オープン選手権大会」と「力道山13回忌追善特別大試合」への出場拒否で、ジャイアント馬場に追い込まれる形になってしまったアントニオ猪木だが、密かに76年の新たな...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【13】75年馬場の猪木潰し2大作戦!

 1974年のアントニオ猪木を軸とした日本人対決ブームの中で「邁進する猪木、逃げる馬場」のイメージを作られたジャイアント馬場だが、翌75年10月30日の蔵前国技館で大木金太郎の挑戦を受けて立って快勝す...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【12】馬場攻勢!猪木より短時間で大木を撃破

 1974年の日本プロレス界は、アントニオ猪木の実力日本一路線で独走態勢に入った新日本プロレスに対して、全日本プロレスは年末にジャイアント馬場が日本人初のNWA世界ヘビー級王座奪取の偉業を成し遂げて一...

スポーツ

有名人ギャンブラーの大勝負〈麻雀〉「萩本欽一、中村玉緒は只者じゃなかった」灘麻太郎が明かす雀士の貌

 小学生の頃から牌を握り、20代から全国を麻雀行脚、プロ雀士として数々のタイトルを獲得したレジェンドが見参。鋭い打ち筋から〝カミソリ灘〟の異名を取った灘麻太郎氏(85)が、有名雀士の素顔を明かした。 ...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【10】馬場がこだわった「日本一」ではなく「世界一」

 ストロング小林、坂口征二、大木金太郎との超大物日本人対決を次々と実現させ、実力日本一に邁進することで、1974年に大躍進したアントニオ猪木と新日本プロレス。  猪木は「日本選手権開催には馬場さんの...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【8】新日本が大巨人アンドレ争奪戦に勝利

 1973年2月8日、アントニオ猪木と坂口征二による新日本プロレスと日本プロレスの合併が報じられた時、全日本プロレスのジャイアント馬場は「正直言って、驚かなかったね。かなり前から動きには気付いていたか...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【7】“ダイヤの原石”鶴田を巡る争奪戦!

 1972年3月に新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木、同年10月に全日本プロレスを旗揚げしたジャイアント馬場。ともにプロレスラーとして、プロモーターとして、日本マット界の頂点に立つという野望を抱...

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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【6】猪木と坂口が電撃合体

 1972年10月22日、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが日本テレビと力道山家を後ろ盾に豪華外国人を揃えて東京・日大講堂で本旗揚げ。この年の3月6日にテレビも付かず、豪華外国人も呼べずに意地だけ...

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