1976年は新日本プロレスが格闘技路線、全日本プロレスは純プロレス路線と、完全に道が分かれた感があったが、アントニオ猪木はジャイアント馬場と全日本を攻撃することによって己の存在感をアピールできることを知っていた。
そんな猪木は格闘技世界一決定戦で〝柔道王〟ウイリエム・ルスカを撃破した10日後の2月16日に「アジア・リーグ戦開催」をぶち上げた。
その概要は7〜8月にアジア各国の団体に呼びかけて「プロレス・アジア・リーグ戦」を開催し、アジア・シングル、アジア・タッグ王者を決めるというもの。そして「他団体に関してはコミッショナー準備委員会より呼びかけ、リーグ戦で決定した選手権者に対して3カ月間の期間を設けて挑戦優先の権利を認める。全日本よりジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両氏、国際よりラッシャー木村、マイティ井上両氏の挑戦を期待する」と、例によって全日本と国際を挑発。この呼びかけは前年暮れの「全日本プロレス・オープン選手権大会」に猪木が参加を呼びかけられたことへのシッペ返しでもあった。
新日本主催と発表されたが、新間寿営業本部長は「全日本と国際が賛同して代表選手を派遣してくださり、また興行日程の上でもご協力いただけるならば、3団体共催という形にするのもやぶさかではありません」と、譲歩する姿勢を見せることも忘れなかった。
アジア王座は、1955年11月に力道山の日本プロレスが開催した「アジア選手権トーナメント戦」で誕生したもので、シングル初代王者は力道山、タッグ初代王者はキング・コング&タイガー・ジョキンダー。シングル王座はその後、大木金太郎に受け継がれ、馬場のインターナショナル、その後にアメリカから日本に持ち込まれた猪木のUN王座に続く3番手のベルトとして定着したが、大木が72年12月4日にインターナショナル王者になると防衛戦が途絶え、日プロは73年4月に崩壊してしまった。
タッグ王座はその後、力道山&豊登、豊登&吉村道明、豊登&馬場、馬場&吉村、大木&吉村、猪木&吉村に受け継がれてインターナショナル・タッグに次ぐ位置付けで、エース候補がベテランの吉村と組むというイメージが強かった。
最終王者は松岡巌鉄&グレート小鹿だが、73年4月の日プロ崩壊以降、防衛戦は行われていなかった。
そうした経緯を知っている猪木は、アジア王座が復活することはないと判断してアジア・リーグ戦構想をぶち上げたが、ここに待ったをかけたのが、活動停止状態でもNWAのメンバー資格を有していた日プロ元代表の芳の里と馬場だ。
猪木の記者会見から約1カ月後の3月19日、渋谷・代官山の旧日プロ事務所で記者会見を行った芳の里は、テーブルにアジア・シングル&タッグの3本のベルトを並べて「日本プロレスとしては故・力道山先輩の偉業を記念する由緒あるアジア選手権の継続並びに名称復活をNWA本部に要望していましたところ、ジャック・アドキッセン(=フリッツ・フォン・エリック)会長より2月29日付をもって許可を得ました。よってアジア・シングル王座は最終保持者の大木金太郎選手の意思を尊重、タッグ選手権については最終保持者チームの意思を尊重して両者に選手権試合開催の許可を与える所存です」と発表。
全日本のザ・デストロイヤー、グレート小鹿、大熊元司、桜田一男(のちのケンドー・ナガサキ)の韓国遠征に合わせて、3月25、26日のソウル特別市文化体育会館2連戦で復活タイトルマッチが行われることも併せて発表された。
まず25日には、大木が小鹿を相手に72年10月24日の松本市総合体育館におけるジョー・ハミルトン戦以来3年5カ月ぶりにアジア王座11度目の防衛に成功。タッグ王座は翌26日、最終保持者のひとり、小鹿が大熊との極道コンビで韓国の呉大均&洪武雄との王座決定戦で第26代王者になった。
こうして新日本の「アジア・リーグ戦」開催前にアジア王座はNWAのお墨付きを得て、日プロから全日本に管理権が移る形で電撃的に復活したのである。
それでも新日本は予定通りに「アジア・リーグ戦」を強行。全日本と交流のある国際からの参加選手も望めず、お手盛り感が強い大会になってしまった。
しかもタイガー・ジェット・シン以外は馴染みのないアジア系選手ばかりだったために盛り上がりに欠けたが、坂口征二を撃破したシンが初代シングル王者、シン&ガマ・シンに勝った坂口&ストロング小林が初代タッグ王者に。
この新日本版アジア王座は、シングルは2回、タッグは1回しかタイトルマッチが行われず、81年6月4日に世界統一構想IWGPに向けて封印された。
一方、日プロから続くアジア王座は、シングルは06年10月26日に大木が他界したことで封印されたが、タッグは「日本最古の王座」として、現在の全日本プロレスに受け継がれている。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
*写真はグレート小鹿&大熊元司の極道コンビ