ジャイアント馬場一覧

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【5】本流を継承した馬場が全日本旗揚げ

 1972年7月29日、ジャイアント馬場は「第1次ビッグ・サマー・シリーズ」開催中に日本プロレスからの独立を発表したが、8月18日の石巻市中央広場での最終戦まで出場した。ポスターに写真と名前が載ってい...

スポーツ

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【4】日本テレビの要請で馬場が独立宣言

 1971年暮れに会社乗っ取りを策したとして日本プロレスを追放されたアントニオ猪木は、翌72年3月6日に新日本プロレスを旗揚げ。しかしテレビ中継もなく、大物外国人も呼べずに苦戦した。3月25日の秩父宮...

スポーツ

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【2】馬場と猪木の蜜月と決別

 1966年3月、2年間の米国武者修行を終えたアントニオ猪木は、4月開幕の「第8回ワールド・リーグ戦」に参加するべく、帰国前にハワイでジャイアント馬場と合流して特訓を行ったが、一緒に帰国することはなか...

スポーツ

新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【1】馬場と猪木が兄弟からライバル関係に

 1972年3月66日にアントニオ猪木が東京・大田区体育館(現・大田区総合体育館)で旗揚げした新日本プロレス、同年10月22日にジャイアント馬場が東京・日大講堂で旗揚げした全日本プロレスが今年2022...

スポーツ

《没後20年》長州、天龍、三沢…「7大名勝負」で振り返るジャンボ鶴田伝説

 49歳でこの世を去ったジャンボ鶴田。その「最強伝説」が没後20年を経てよみがえった。フルタイムを戦っても疲れを見せない未曽有のスタミナ。日本人対決で見せた「怪物ぶり」は今も語り継がれる。全日本担当と...

スポーツ

1 2 3