新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【10】馬場がこだわった「日本一」ではなく「世界一」

 ストロング小林、坂口征二、大木金太郎との超大物日本人対決を次々と実現させ、実力日本一に邁進することで、1974年に大躍進したアントニオ猪木と新日本プロレス。

 猪木は「日本選手権開催には馬場さんの参加が不可欠」と執拗にアピールしたが、馬場は〝日本一〟ではなく、プロレスの本場とされたアメリカ・マット界との関係に重きを置いた。

 1月に「新春ジャイアント・シリーズ」を開催してジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニアの現・前・元世界王者3人とサム・マソニックNWA会長を同時に招聘して、猪木との外交力の違いを誇示した。

 その一方で、新日本がアンドレ・ザ・ジャイアントのマネジメント権を持つニューヨークWWWFのビンス・マクマホンと業務提携したために馬場vsアンドレの大巨人対決は実現できなくなってしまったが、帝王ブルーノ・サンマルチノ、元WWWF王者ペドロ・モラレス、ゴリラ・モンスーンという古くからの親友がいることで、馬場もWWWFとの友好関係を維持。

 アンドレが新日本の2月シリーズに参加すると、全日本は5〜6月に「ニューヨークMSGが日本にやってくる」を謳い文句に「MSGシリーズ」を開催。6月13日の東京体育館で、馬場がモラレスとの争奪戦に勝ってMSG杯を獲得。

 このシリーズ終了後の6月24日には、馬場が10年ぶりにニューヨークMSGに登場してモンスーンに快勝。こうして馬場はアンドレ以外のWWWFの大物選手の新日本流出を食い止めた。

 そして8月4日、5日には、ネバダ州ラスベガスのデューンズホテルで開催されたNWA総会で馬場と猪木が火花を散らした。

 73年2月にメンバーになった馬場は、同年8月の総会で猪木の加盟を阻止。馬場を支持するプロモーターの反対票多数により、猪木の加盟は却下された。それでも猪木が2年連続で加盟申請したのは、ロサンゼルスのマイク・ラーベルのラインからNWA系の選手を派遣してもらうことは可能だったが、NWA世界王者だけは正式メンバーでなければ絶対に呼べないからだ。実力日本一に邁進していた猪木だが、やはり当時のプロレス界の最高峰はNWA世界ヘビー級王座であり、猪木も虎視眈々と狙っていたのである。

 新日本に選手を派遣していたラーベル、マクマホン、さらにカナダのフランク・タニーらが猪木を支持する一方で、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニア、ダラスのフリッツ・フォン・エリック、カンザスのボブ・ガイゲルらが反対に回ったと見られ、賛成9票、反対17票、態度保留3票で猪木の加盟は2年連続で却下された。

 この結果に、馬場は「同じ経営者として、企業戦争の厳しさは猪木もわかっているはず。私を支持してくれた人が多かったのは、長年、真面目にやってきた信用の賜物だと思う。これからもNWA路線で一生懸命やっていく」とコメントした。

 WWWFとの友好関係を継続し、NWAで盤石のポジションを築いた馬場は年末に長年の夢の実現に動き出す。それは師匠・力道山も成し得なかったNWA世界ヘビー級王座獲りだ。

 NWA世界王者はマソニック会長のブッキングで加盟プロモーターの各テリトリーを回る義務があるため、レスラーとしての実力はもちろんのこと、信頼度も重要。馬場は世界王者ブリスコの招聘にあたってドリー、ガイゲル、ブリスコの本拠地フロリダのマイク・グラハムに根回しして11日間のスケジュールを確保。マソニック会長代理の立会人としてパット・オコーナーも来日した。

 当時のNWA世界戦は60分3本勝負。12月2日、鹿児島県立体育館でブリスコに挑んだ馬場は、長期戦に持ち込まれるのを嫌って速攻勝負に出た。わずか11分で16文キックを決めて1本目を先制。2本目は足4の字固めを決められると、すぐにギブアップしてダメージを最小限に抑え、決勝の3本目は大勝負用の秘密兵器ランニング・ネックブリーカーを決めて、日本人初のNWA世界ヘビー級王者という偉業を達成した。

 3日後の5日に日大講堂でブリスコのリターンマッチは退けたものの、NWAからの要請によって12月9日の豊橋でブリスコの再挑戦を受け、1週間で奪回されてしまったが、第49代王者・馬場の名前はNWA公式記録として記された。

「逃げる馬場」のイメージを作り、日本選手権開催および対戦を迫る猪木への馬場の返答は「私がこだわったのは日本一ではなく、世界一のNWA世界ヘビー級のベルト」だった。

 馬場の快挙から10日後の12日、蔵前国技館で小林との再戦に勝利した猪木は、馬場に対戦要望書を送付したが、馬場は「猪木とは戦えない。なぜなら私がNWAのメンバーだからだ。NWAは他団体の選手との試合を認めておらず、NWAのメンバーではない猪木とは戦えない」と、あっさりと拒絶している。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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