1973年2月8日、アントニオ猪木と坂口征二による新日本プロレスと日本プロレスの合併が報じられた時、全日本プロレスのジャイアント馬場は「正直言って、驚かなかったね。かなり前から動きには気付いていたから。騒ぐことはない。私はマイペース」と、淡々と答えていたが、これはポーズではなく、実際に対抗策を進めていた。それがNWAへの加盟だ。
今でこそ日本のプロレスは日本人対決が主軸だが、60年代から80年代初頭にかけてはプロレスの本場はアメリカであり、日本人vs外国人という図式だった。つまり、いかに一流の外国人選手を呼ぶことができるかが最重要事項だったのだ。
当時、アメリカにはNWA、AWA、WWWF(現WWE)の3大組織があり、米中南部のAWA、ニューヨークと米北東部、カナダの一部をテリトリーにするWWWFに対して、NWAはアメリカのプロレス・テリトリーの約4分の3、カナダ、メキシコ、日本、オーストラリア、ニュージーランドなど各国各地のプロモーター約30名が加盟する最大の組織だった。
日本プロレスはNWAのメンバー、国際プロレスはAWAと業務提携していたが、猪木の新日本はどの組織にもパイプがなく、無名の外国人選手しか呼べずに苦戦していた。
72年10月に旗揚げした馬場の全日本は、馬場の親友ブルーノ・サンマルチノのルートでWWWFと友好関係を結び、NWAの有力プロモーターのドリー・ファンク・シニアが外国人招聘窓口になったことで、加盟していなくてもNWAの大物を呼ぶことができた。しかしNWA世界王者を呼ぶには正式加盟が必要ということで、猪木と坂口が合併を発表する前の2月3日、ミズーリ州セントルイスで行われたNWA臨時総会で加盟を申請して認められた。
当時の馬場は力道山家から贈呈された旧インターナショナル王座のベルトを世界ヘビー級王座として、争奪戦を展開し、2月27日にボボ・ブラジルを撃破して王者になった。そしてNWAに加盟したことによって、このベルトは同年3月16日にNWA傘下団体としてハワイ・ホノルルを拠点に新たに発足した、PWFの初代世界ヘビー級王座(74年からは世界の2文字を外す)に認定された。
外国人招聘ルートを盤石にした馬場・全日本に対して、猪木&坂口連合軍は大木金太郎の反対によって両団体の合併が頓挫するという思わぬ事態に見舞われたが、坂口が合流した新日本をNETテレビ(現・テレビ朝日)がバックアップ。こちらも一流外国人獲得に力を注いだ。
その立役者になったのは皮肉にも、72年暮れの日プロ改革騒動で猪木が排除しようとしていた元日プロの渉外担当取締役の遠藤幸吉。遠藤はNETが69年4月に日プロ中継をスタートさせる時に日プロ側の窓口になった人物で、NETは猪木&坂口の新日本の中継を始めるに際して解説者に起用、さらに元渉外担当重役だったことから外国人ルート開拓も要請したのだ。
遠藤は日プロ時代の外国人選手招聘の拠点ロサンゼルスのプロモーターのマイク・ラーベルに選手派遣を依頼。ラーベルはNWAのメンバーだが反主流派として知られ、加盟していない新日本への協力を快く引き受けた。同年6月に提携第1弾としてビューティフル・バーガードが来日し、8月24日には猪木&坂口がロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでジョニー・パワーズ&パット・パターソンの北米タッグ王座に挑戦するなど、新日本とロスの関係は急速に深まっていった。
10月には蔵前国技館で興行戦争が勃発。9日に全日本が馬場&鶴田友美(ジャンボ鶴田)vsザ・ファンクスのインター・タッグ選手権、USヘビー級王者ザ・デストロイヤーにミル・マスカラスが挑戦する夢の覆面世界一決定戦を二枚看板にすれば、4日後の13日に新日本は猪木&坂口が〝プロレスの神様〟カール・ゴッチ&〝不滅の鉄人〟ルー・テーズと激突する「世界最強タッグ戦」で勝負。全日本は1万1000人、新日本は1万2000人を動員した。
年末の12月10日には猪木が馬場のPWFの向こうを張って、パワーズからオハイオ州クリーブランドを拠点にするNWF世界ヘビー級王座を奪取。猪木は「馬場のお手盛りタイトルとは違って、こっちはアメリカのベルトを奪ったもの」と胸を張った。
年明け74年1月、馬場がジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニアの現・前・元世界王者3人とサム・マソニック会長を招聘してNWAメンバーとしての政治力を誇示すれば、新日本はラーベルのラインでニューヨークWWWFのビンス・マクマホンと業務提携。
マクマホンは大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントのマネジメント権を持っており、新日本は全日本との争奪戦に勝利する形で、2月にアンドレを招聘した。
両団体の企業戦争は、ここからさらに激化する。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。