1974年のアントニオ猪木を軸とした日本人対決ブームの中で「邁進する猪木、逃げる馬場」のイメージを作られたジャイアント馬場だが、翌75年10月30日の蔵前国技館で大木金太郎の挑戦を受けて立って快勝すると大攻勢に転じた。その第1弾が12月に開催した「全日本プロレス・オープン選手権大会」である。
この大会はNWA本部があるアメリカ合衆国建国200年、力道山追悼、全日本旗揚げ3周年を記念して企画されたもので、馬場は「NWA有力メンバーに各地域を代表する強力レスラーの派遣を要請、またNWAの認可を得て、その傘下団体のみならず、広く門戸を開放し、各団体から代表主力選手の参加を求め、広く対戦する機会を提供するものであります」と発表。ここで重要なのは、NWAメンバーへの協力要請とNWA傘下以外にも呼びかけている2点だ。
馬場は前年暮れに「NWAのメンバーではない猪木とは戦えない」と対戦を拒否していたが、この75年12月の時点で猪木はNWAのメンバー。それまで3年連続で加盟申請を却下されていたが、8月1〜3日にルイジアナ州ニューオリンズで開催されたNWA総会でようやく加盟が認められたのである。
ただし、そこには【1】馬場と対立することなく、お互いの領域を守って侵さないこと【2】選手の引き抜きをやらないこと【3】猪木が加盟しても、1年間はNWA世界ヘビー級王者への挑戦は認めないという3つの条件が付けられた。一時は難色を示した猪木だが、9月18日に加盟した。
こうなるとオープン選手権開催は、同じNWAのメンバーとしての協力要請でもあり、執拗に挑戦を迫った猪木に対する「この大会に参加すれば対戦できる可能性もありますよ」という答えだ。
さらにNWA傘下団体以外への門戸開放は、国際プロレスの参加を意識してのもの。馬場のシナリオ通りに国際代表としてラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上のトップ3人が参加表明。大木も雪辱を誓って日本プロレス代表として名乗りを上げ、フロリダを拠点とするフリーの大物ヒロ・マツダも参戦した。
その他、全日本代表は馬場、ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤー、アントン・ヘーシンク、外国人勢はドリー・ファンク・ジュニア、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ホースト・ホフマン、ドン・レオ・ジョナサン、ディック・マードック、パット・オコーナー、ケン・マンテル、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデス、バロン・フォン・ラシク、ミスター・レスリングと錚々たる顔触れが揃った。
デストロイヤー、マードック、ホフマン、ジョナサン、レイス、ラシク、レスリングといったガチンコに強いメンバーを集めたのは、猪木が参加してきた場合に備えてのもの。
「総当たりリーグ戦は日程的に不可能だが、トーナメントにするのはもったいないということで、ファンの希望を反映したカードを優先的に組む大相撲の取組のような形式で開催する」と発表されたが、猪木が勝ち上がってきた場合、次々にガチンコに強い選手を当てるつもりでいたのだ。
猪木は「馬場と戦うのは日本選手権であるべき。お祭りには参加できない」と拒絶したが、馬場にとっては「猪木が逃げた」というイメージが生まれれば、それで十分だった。
オープン選手権では馬場vs鶴田の師弟対決(12・15宮城=馬場の勝ち)、馬場vs木村の全日本vs国際エース対決(12・17千葉=馬場の勝ち)などの日本人対決が実現。大会としては最終戦の12・18川崎でホフマンに勝って最高得点となった馬場が優勝した。
馬場の猪木への攻勢はこれだけではなかった。12月11日に日本武道館で開催された「力道山13回忌追善特別大試合」だ。主催は力道山家で、新日本も参加を要請されたが、同日に蔵前国技館で猪木vsビル・ロビンソンのプロレス・ルネッサンス第2弾を行うことがすでに決定していたため、不参加に。断られた力道山家の敬子夫人が「今後、力道山の弟子とは名乗ってもらいたくない」という声明文を出すまでに至った。
もちろん、馬場の全日本は全面協力。「師匠・力道山を追悼する馬場、恩知らずの猪木」というイメージが出来上がった。力道山家が13回忌興行を馬場に相談したところ、「興行を全部、力道山追善供養のために提供します。選手たちはボランティアで用意、足りない分もこちらでやりますから」と、すでに情報をキャッチしていた新日本の蔵前にぶつけて日本武道館を押さえたという説もある。
最終的には、猪木vsロビンソンを主催し、力道山13回忌も後援する東京スポーツの井上博社長が仲介に入って、12月8日に猪木と敬子夫人を会わせて和解が成立。
猪木は「絶対に力道山先生に喜んでもらえる、御供養になると信じている」と、ロビンソン戦に臨み、歴史に残る60分時間切れの死闘を演じた。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。