新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【26】ブッチャーに続いて「全日本第3の男」を引き抜き
1981年5月8日、新日本プロレスの川崎市体育館大会に現れた、全日本プロレスのトップ外国人アブドーラ・ザ・ブッチャー。アントニオ猪木が提唱する世界統一構想IWGPに賛同したという建前だったが、実際に...
1981年5月8日、新日本プロレスの川崎市体育館大会に現れた、全日本プロレスのトップ外国人アブドーラ・ザ・ブッチャー。アントニオ猪木が提唱する世界統一構想IWGPに賛同したという建前だったが、実際に...
1977年、新日本プロレスと全日本プロレス両団体に、のちの日本プロレス界の主役になる男が海外武者修行から凱旋帰国した。 まず3月4日に高崎市体育館で開幕した新日本「第4回ワールド・リーグ戦」に帰...
1977年、新日本プロレスはアントニオ猪木と全米プロ空手世界ヘビー級王者ザ・モンスターマン、モハメド・アリからダウンを奪ったことで話題になったプロボクサー、チャック・ウェップナーとの「格闘技世界一決...
1976年、アントニオ猪木は72年ミュンヘン五輪柔道の重量級&無差別級金メダリストのウイリエム・ルスカ、プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦を実現させて、プロレスの枠を飛び越...
東海テレビのYouTubeチャンネル〈【東海テレビ公式】ドラHOTpress〉に、NPB唯一となる50代までマウンドに上がった名球会投手の山本昌氏と、セ・パ両リーグで本塁打王に輝いた山﨑武司氏が出演...
1974年のアントニオ猪木を軸とした日本人対決ブームの中で「邁進する猪木、逃げる馬場」のイメージを作られたジャイアント馬場だが、翌75年10月30日の蔵前国技館で大木金太郎の挑戦を受けて立って快勝す...
1973年2月8日、アントニオ猪木と坂口征二による新日本プロレスと日本プロレスの合併が報じられた時、全日本プロレスのジャイアント馬場は「正直言って、驚かなかったね。かなり前から動きには気付いていたか...
1972年3月に新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木、同年10月に全日本プロレスを旗揚げしたジャイアント馬場。ともにプロレスラーとして、プロモーターとして、日本マット界の頂点に立つという野望を抱...
49歳でこの世を去ったジャンボ鶴田。その「最強伝説」が没後20年を経てよみがえった。フルタイムを戦っても疲れを見せない未曽有のスタミナ。日本人対決で見せた「怪物ぶり」は今も語り継がれる。全日本担当と...