林真理子が日本大学の理事長に就任した時、火中の栗を拾おうとするその姿勢を讃える声も多かった。人気作家で日本文藝家協会理事長も務める超多忙な身にもかかわらず、スキャンダルにまみれて窮地に陥った母校のために、敢えて苦労しようというのである。林も「自分はお飾りなどではない」と胸を張った。
18年、アメリカンフットボール部の「反則タックル問題」をきっかけに明るみに出た、田中英壽理事長による独裁的な支配体制は、林新理事長のもとで膿を出し切ったかに見えた。しかし、同アメフト部の薬物汚染事件が明るみに出る。残念なことに、その対応ぶりは、林体制も田中前理事長と大差ないものだった。期待は失望に変わった。
本書は日大の創設から現在までを振り返り、このマンモス私大が、いかにして魔窟と化したのかを描くノンフィクションだ。
日大は学生数も多く、従って卒業生も多い。大学病院など付属する施設も多い。学費や寄付金、助成金など巨額の金が動く。それだけに、運営には透明性が求められるが、田中英壽体制は真逆だった。田中は日大相撲部の出身だったが、体育会系の学生が大学の職員になり、やがて大学を支配するようになる。
また、上層部と右翼や暴力団とのつながりも臭う。1960年代には日大でも学園闘争が激しかったが、学生たちの鎮圧に動員されたのは体育会系学生たちだけではなかった。
本書は大麻・薬物事件への対応の拙さと林理事長の迷走ぶりを描く終章で終わる。浮かび上がるのは、ガバナンスが機能しない巨大組織の異常さだ。大学という教育機関がこれでいいのだろうか。
「私たち執行部は世間にごめんなさいして尻尾を振っていく」「私たちは補助金も欲しい」という林理事長の発言がある。学校経営者としての本音と言えばそれまでだが、しかし求められているのは「尻尾を振る」というポーズではなく、組織とその運営の根本的改革だ。これだけ巨大で複雑化した組織を立て直すのは、簡単なことではない。もっと組織運営に慣れた適格者はいないのか。「そもそも人気作家に名門私学の先行きを担うヴィジョンがあったのだろうか」と著者は問うている。
ところで、本書の最後に1ページの「謝辞」がある。これが異様だ。謝辞によると、この本は中央公論新社のウェブ誌「デジタル中央公論」と会員情報誌「ファクタ」に連載した記事に加筆したもの。中央公論新社から出版する予定だったが「ある事情により叶わず」、東洋経済新報社から出ることになったのだという。
ある事情とは何なのか。考えられるのは2つだろう。日大あるいはOB会などからの圧力。もう1つは林真理子理事長への忖度。確かに筆者の文章は林理事長に厳しい。だが、それはいずれも具体的な論拠を示してのもので、感情的な悪口などではない。「魔窟」の闇はずいぶんと深い。
《「魔窟 知られざる『日大帝国』興亡の歴史」森功・著/1980円(東洋経済新報社)》
永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。