永江朗「ベストセラーを読み解く」超えられない絶対的な権力…出版界での性加害問題を描く

 話題沸騰の問題作。「編集者から長年にわたって性的搾取されてきた」と作家志望の女が告発する。さらには、評論家でもある大学教授が、編集者に作家志望や編集者志望の女子学生を紹介していたのではないか、という疑惑も持ち上がる。

 告発した女、告発されたベテラン編集者、女から相談を受けた作家、作家のパートナー、マッチングサイトでの女漁りをネットで暴露される若手編集者、さらには、作家の娘や告発された編集者の息子ら、さまざまな人物の視点が章ごとに入れ替わる。

 小説の軸となるのは、女から相談をされた43歳の作家。自身も夫からレイプされた過去があり、結婚生活は破綻して、長らく別居しているにもかかわらず、夫に離婚を拒まれている。かつての教え子で15歳年下の男と暮らしている。

 タイトルの「ヤブノナカ」は、芥川龍之介の短編「藪の中」を連想させる。黒澤明監督の映画「羅生門」(1950年)の原作になった小説である。芥川の「藪の中」は、同じ事件について目撃者や当事者の証言が食い違う。誰もが自分にとって都合がいいように語る。金原の「ヤブノナカ」は、各人の発言内容が芥川の小説ほど大きく食い違うわけではないが、同じ事象についての受け止め方や、解釈の仕方が微妙に異なる。都合の悪いことは隠し、都合のいいことは強調する。そしてソーシャルメディアが騒ぎを拡大する。

 作家志望の女が受けたという“性的搾取”というのが微妙だ。セクハラでも、DVでもない。その渦中では恋愛だと思っていたと女はいう。だが、恋が終わって別れた今になって考えると、自分は性的に搾取されていたのではないかというのである。性交時の性癖も含めて、女はベテラン編集者をネットで告発する。

 ベテラン編集者は、作家志望の女に文学のあれこれを教えてやるといい、添削指導的なこともしていた。それどころか、文芸誌の新人賞の最終選考に、無理矢理ノミネートさせるようなことさえしていた。だが、それは、ややアブノーマルな性行為との引き換えだったのではないか‥‥。

 似たようなことは筆者も耳にしたことがある。作家の誰それは編集長のお気に入りなので優遇されているとか、才能もないのにデビューできたのは編集長と寝たからだとか。「あいつをデビューさせてやったのは俺だ」などと公言する編集者や評論家の噂も聞いた。若くてきれいな女性作家だと嫉妬でそんな噂が流れる。

 本作は単純な小説ではない。告発した側が100%正しく、告発された側は100%邪悪である、という勧善懲悪の物語ではない。編集者が作家志望の女に抱いていたのは恋愛感情だったかもしれないし、別れたのは、女の肉体に飽きたからではなく、別の理由があったからかもしれない。作家志望の女も、一方的に騙され利用されていたとは限らない。ただし、編集者と作家志望の女の間には、文学という狭い世界における地位や権力の絶対的な差がある。

《「YABUNONAKA」金原ひとみ・著/2420円(文藝春秋)》

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

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