「池田大作と自民党」知られざる蜜月50年(3)岸田総理はパイプがなく大炎上

 本格的な協力関係が明確になったのは、99年の連立与党の形成だった。だが、宗教団体を支持母体に持つ公明党をいきなりパートナーに据えたわけではない。

 政治アナリストの伊藤惇夫氏は、

「その裏には、当時の自民党・野中広務官房長官の暗躍があった」

 とした上で、連立政権に投下した“爆弾男”の存在を明かす。

「野中にとって仇敵であり、自民党に反旗を翻した自由党・小沢一郎議員(現立憲民主党所属)を先に引き込んだのです。自自連立政権を樹立し、ここに公明が加わり自自公連立、自由党の分裂で保守党が誕生し自公保連立となり、保守党が自民党に吸収され、自公連立政権が誕生しました。野中は、恩師の金丸信元副総理の晩年に見舞いの一つにも来なかった元同門の小沢を嫌悪しながらも、連立のために土下座までします。そして周囲に『政権維持のためなら俺は何でもやる。人間相手に土下座はできないが、小沢は悪魔だから何をしても平気だ。連立を組んだ後はアイツだけ叩き出してやる』と語り、実際にそうなったわけです」

 連立は野中の執念の産物だったのだ。一時、民主党に政権を奪われた時期もあるが、ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう証言する。

「連立のうまみがない野党時代にも、公明党の漆原良夫国会対策委員長(現・公明党顧問)と自民党・大島理森幹事長(当時)らが常に連携を取っていました。議員会館の食堂に2人でいるところを何度見たかわかりません。その後も故・安倍晋三元総理は太田昭宏元国交大臣と、菅義偉元総理は創価学会の佐藤浩・元副会長と、といった具合に強力なパイプを築いていきます。しかし岸田政権にはそのパイプがなく、政策面や選挙区の候補者調整で対立することも増え、両党の間には現在、すきま風が吹いています」

 そこで出たのが、公明党との関係を良化させたい岸田総理による追悼コメントだ。しかし、結果的には大炎上してしまうハメに。

「いち早く弔意を示したつもりでも、総理大臣名義では政教分離の原則から外れ、批判されることは当然。これも、岸田総理に公明党と相談できるパイプがないから。スタンドプレーに走り失敗したのです。創価学会で絶対的な存在だった池田氏が亡くなったことで、公明党の今後の選挙を心配する声が聞かれますが、大丈夫だと思います。関係者いわく、池田氏の健康不安があった中、1年ほど前から次世代の体制作りを進め、今はほとんど固まっている。むしろ『選挙があれば、先生の弔い合戦だ』と意気込む会員が多く、選挙への士気は高いそうですから」(鈴木氏)

 次なる国政選挙で蜜月60年の真価が問われそうだ。

ライフ