黒田前日銀総裁、最後まで「反省なし」 アダとなったエリートの「自信と強気」

 4月9日、元日銀審議委員で経済学者の植田和男氏が日銀総裁に就任し、植田日銀が誕生。前総裁となる黒田東彦氏は退任1日前の7日に最後の会見を行った。

 会見の様子はいつもと変わらなかった。10年前の13年3月に日銀総裁に就任するや、「2%の物価上昇安定目標」を「2年程度」で達成するとして行った金融の大規模緩和は「適切」で、その非伝統的金融政策は「十分効果」があって、緩和がなければ「成長はもっと低迷」していたはずと、自らの正しさを強調。だが目標はついに達成されなかったことは「残念」とだけした。

「いつもながら特段の反省を示す素振りもありませんでしたね。次の植田総裁は当面は緩和策を維持しながら出口を探ることになり、財政規律を歪めて日銀が国債を大量購入したツケをどう払うかの課題だけを残したわけですから『逃げ切り』と見られています。そういった政策に終始したのも、見方を変えれば自説の異次元緩和に自縄自縛になったからだとも言え、あまりの強気と自信が招いた結果とも言えるでしょう」(経済部記者)

 自信とプライドの塊になるのも、経歴を見れば頷ける。黒田氏は超名門の東京教育大学付属駒場高校から東大法学部に進み、在学中に司法試験に合格。そして大蔵省に入省するが、国家公務員試験は2番目の成績という大蔵省エリートの典型パターンを踏んだ。

 だがズバズバとものを言う性格がアダとなって、将来の事務次官コースの主計局ではなく国際部と主税局で主なキャリアを積んで、通貨マフィアとも称される財務官となる。あの「ミスター円」と呼ばれた榊原英資氏の後任というから何とも象徴的だ。そして省内No2で財務官僚を終えて、アジア開発銀行総裁を務めた。

 そして13年に日銀トップになるやいなや、異次元緩和という非伝統的金融政策を導入。14年に消費税が5%から8%に増税される際には、その前年に持ち上がった先送り案に「どえらいリスク」と警告して増税を歓迎した。

「同じリフレ派として黒田総裁を中心になって支えた経済学者の岩田規久男さんは、金融緩和の効果を訴えるが、増税には慎重な人。一方、黒田総裁は緩和の効果に自信を持っていて、増税も辞さない人でした。結局、緩和が奏功して13〜15年の企業収益は改善し、日経平均は83%も上昇しますが、実質賃金は4.6ポイント減少、個人消費は14.5%も落ち込みました。岩田さんは消費増税が無ければ……と、今でも臍をかむように主張しています」(経済ジャーナリスト)

 財務相と日銀の争いもあった。もともと日銀と財務相出身者のたすき掛け人事が行われていた日銀だが、98年に日銀法が改正されて以来、初の財務省出身の総裁になったのが黒田氏だ。その日銀では以前からマネーを能動的に市場に供給することができるかどうかで議論があって、否定的な意見は「日銀理論」と呼ばれてリフレ派と対立していた。だから、日銀総裁が白川方明総裁から黒田総裁に変わった時には「白い日銀から黒い日銀に」と、白黒逆転したように言われたものだ。

「学究肌の白川氏とアベノミクスと結びついた黒田総裁は、キャラも手法も真逆。その白川前総裁は3月に国際通貨基金(IMF)に寄稿した論文で、『(大量緩和は)控えめな効果しかなかった』、だからこれまでの政策を『変更できない理由はない』と、黒田さんの政策を批判しました。異次元緩和の結果を受けての論として控えめな主張にはなってはいますが、そもそもが財務相エリートの黒田さんが持ち込んだ“実験”のようなものは受け入れられなかったのでしょう」(同)

 黒田総裁の弊害としては、その自信を持った断言口調で市場とのコミュニケーションが円滑に行われているとは言えないということもあった。その意味でも、「元日銀」で「学者」の植田総裁には期待が込められている。

(猫間滋)

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