「鎌倉殿の13人」暗黒プロフィール(3)政子が夫の不貞相手の「自宅ブチ壊し」

 源頼朝と北条義時に関わる女たち、そして13人の側から鎌倉時代を見ると、違った風景が見えてくる。

 夫の不貞相手の家をブチ壊すことを「うわなり打ち」という。政子は頼朝の不貞相手だった亀の前の家を打ち壊した「うわなり打ち」をしたことで、嫉妬深い勝ち気な女というイメージで語られがち。しかし山本氏は異論を展開する。

「うわなり打ちは、平安中期頃から江戸時代の初め頃まで、名もない庶民から身分の高い女性まで広く行われていたことでした。ただ、政子の事件が有名なので、政子の悪女性を強調するエピソードとして伝わっているのです。平安中期に、藤原道長の邸宅で働いていた下女が30人の女たちを引き連れて、夫の不貞相手の家を壊しに行ったという記述が初めて史料に出てきます。うわなり打ちが慣習として江戸時代まで続いていたというのは、やはり女性が弱い立場だからこそ認められていたと考えられます。頼朝も、亀の前や大進局(だいしんのつぼね)などと親密な関係になっていますが、いずれも政子が妊娠している最中。特に亀の前の時には第2子を妊娠中で、後の2代将軍となる長男の頼家が生まれるわけです。頼朝と政子が出会ってからすでに7年以上経っていて、やっと待望の男子が生まれたことで、政子としては肩の荷が下りてホッとした時でした。頼朝の跡継ぎを産めるかどうかは正妻の立場にも関わってきますし、北条の血を残すためにも重要なことだったわけです。そんな大仕事を終えて、産所から御所に帰ってきたら、牧の方から頼朝の不貞を知らされた。それはもうどういうことなの、となったわけですね」

 妻の妊娠中に夫が不貞、これは現代でもしばしば離婚の原因やスキャンダルになりがちだ。山本氏が続ける。

「牧の方は頼朝の女遊びを政子に教えてしまいます。牧の方が意地悪で政子に告げ口したというふうに解釈する研究者もいますが、亀の前と頼朝が親密になっていちばん困るのは、亀の前に男の子が生まれることなんです。阿波局(あわのつぼね)という義時の妹は頼朝の弟の阿野全成(あのぜんじょう)に嫁いだので、北条氏は政子と頼朝に加えて鎌倉将軍家と二重に縁戚関係を結んでいた。阿野全成は義経と同じお母さんを持つ醍醐寺の僧侶だった人で、頼朝が挙兵した時に、鎌倉に駆け付けた人です。阿波局は頼朝の次男・実朝の乳母(めのと)となっており、北条氏としてはその実朝をなんとしても鎌倉殿に立てたいということがあって、後に比企(ひき)氏と対立することになるのです」

 さらに阿波局は、石橋山の戦いで洞窟に隠れていた頼朝を見つけながら見逃し、

「命を救った梶原景時(かじわらかげとき)が失脚する時に重要な役割を担っています。御家人の結城朝光(ゆうきともみつ)が、頼朝が亡くなったあと法要の場で『本当の忠臣は二君に仕えない、つまり頼朝だけに仕えるべきで頼家に仕えるべきではなかった、自分は出家するべきだった』と言った。それを景時が『どうも結城は謀反を企んでいる』と頼家に告げ口して謀反の濡れ衣を着せようとした。このことを、阿波局が結城朝光に知らせるのです。慌てた朝光が大江広元や皆に相談して、そもそも謀反の濡れ衣を着せようとした景時が悪いということになって、景時は追放されます。阿波局は将軍御所の女房を務めているので、そうした情報をいち早くキャッチしていたんですね。ドラマではそんなおしゃべりキャラとして、宮澤エマさんが演じる実衣(阿波局)を描いているようです」(山本氏)

 とんだ「タレコミ常習犯」だった─。

 河合氏が今後のドラマの展開で、特に注目するのが大江広元だ。

「もともと下級貴族で、鎌倉に下り頼朝の祐筆(ゆうひつ)として行政文書を作成していましたが、頼朝の信頼を得て政所(まんどころ・公文所)の別当(べっとう・長官)になった文官で、鎌倉殿の13人の1人です。頼家にも仕え、さらに実朝にも仕えた人物で、政子や義時の相談役でもあった。承久の乱の時に義時は後鳥羽上皇から自身の追討令が出されたことにビビッて、京都から朝廷軍が攻めてきたら足柄・箱根の関所を固めて朝廷軍を迎え撃とうと弱気になっていた。ですが、大江広元だけが、京に攻め入るべきだと進言して、結果的に鎌倉幕府が勝利した。この時、広元はすでに70歳くらいで長年の経験から、一気に京都に攻め入る主戦論を主張したのでしょう。朝廷に弓を引くことで弱気になっている武士たちを出撃させて勝利し、鎌倉幕府の権力の拡大に大きく貢献した。広元がいなければ、鎌倉幕府は潰れていたかもしれません」

 平氏を滅ぼした後、義経の追討をするために、朝廷から全国に守護・地頭を置く権利を得ることを頼朝に進言したのも大江広元だといい、

「地方の軍事と警察権を持つ守護、荘園などの土地の管理、年貢の徴収などを担う地頭の任免権を頼朝が獲得した1185年をもって、鎌倉幕府の成立とする人もいるくらいで、広元の役割はとても大きいと思います。13人の1人である比企能員(ひきよしかず)の養母・比企尼(ひきのあま)は頼朝の乳母で、頼朝が関東に流された時に、頼朝のためにわざわざ引っ越してきています。その後20年間も仕送りを続けて、頼朝にとっては命の恩人。その娘も頼家の乳母になっていて、さらに比企能員(比企尼の甥で猶子)の娘(若狭局)と頼家が結婚して、一幡(いちまん)という子供ができる。そういう意味では、比企氏は北条に匹敵する源家の外戚(がいせき)ですから、北条にとっては最大のライバルでもある。最終的に比企能員は時政におびき出されて殺され、一族も殺され、一幡という頼朝の孫も殺されてしまいます。NHKの歴史番組『歴史探偵』で、比企能員を演じている佐藤二朗さんとご一緒しているので、二朗さんがどんなふうに殺されるのか、それにも注目しています(笑)」(河合氏)

 鎌倉時代は武家の時代だが、「尼将軍」となった政子などは息子の頼家が暴走するたびにストップをかけて事件を未然に防いだり、鎌倉殿の13人や有力御家人たちを巧みに動かし、幕府政権の安泰を図っている。歴史のキーは結局、女性が握っていることに気づかされるのだ。

 鎌倉の武士たちは生き残りをかけて武士のための国を作りたいと、源氏と共に戦った。「頼朝の恩は海よりも深く、山よりも高い」という政子の有名な演説で、武士たちは奮い立つ。幕府と御家人の武士たちには、「御恩と奉公」というギブ&テイクの関係が厳然と存在していたのである。

 リストラがはびこり、給料が上がらず、御恩(報酬)が十分でないコロナ禍の現下、令和の「御恩と奉公」を考えるきっかけとなるやもしれない「鎌倉殿の13人」なのである。

河合敦(かわい・あつし):65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「関所で読みとく日本史」(KAWADE夢新書)。

山本みなみ(やまもと・みなみ)89年、岡山県生まれ。京都大学大学院にて博士(人間・環境学)の学位取得。現在は鎌倉歴史文化交流館学芸員、青山学院大学非常勤講師。中世の政治史・女性史、特に鎌倉幕府や北条氏を専門としている。

松村邦洋(まつむら・くにひろ):67年、山口県生まれ。太田プロダクション所属。大河ドラマの役者のものまねを織り込んだ歴史知識を披露するなどバラエティー、ドラマ、ラジオで活躍中。YouTube「松村邦洋のタメにならないチャンネル」配信中。

*「週刊アサヒ芸能」3月10日号より

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