「鎌倉殿の13人」で話題!安徳天皇は 壇ノ浦の戦いの後も生きていた?

 5月8日放送分では源平合戦の最後の決戦となる壇ノ浦の戦いが描かれたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。当時6歳だった安徳天皇の入水シーンについてはネット上での反響も大きかったが、実は生存説があるのも歴史ファンの間では有名だ。

「背格好が似た影武者を用意したという説です。壇ノ浦の戦いの約1ヶ月前に起きた屋島の戦いに敗れ、平家はもはや挽回不可能な状況でした。安徳天皇は当時6歳でしたが平清盛の孫にあたり、源氏にとっては邪魔な存在。仮に保護すれば表向きは丁重に扱ったでしょうけど、病気に見せかけて毒殺なんてことも十分ありうる状況でした」(歴史研究家)

 壇ノ浦で海に身を投げたはずの平資盛が実は自害しておらず、屋島の戦いの後に安徳天皇を連れて落ち延びたとの言い伝えもあるほど。実際、九州を経て対馬や南西諸島には数々の伝説が残っており、硫黄島(鹿児島県三島村 ※同名の太平洋戦争の激戦地とは別の島)には安徳天皇の墓所があり、指定文化財として島の観光名所になっている。

 また、四国中央部の山深い急斜面に広がる栗枝渡集落(徳島県三好市)にも安徳天皇が落ち延びたとの伝説がある。言い伝えによると、病により16歳で亡くなった後、集落の一角に今も残る「栗枝渡八幡神社」で火葬されたという。

「源義経や豊臣秀頼、明智光秀など生存説のある歴史上の人物は多いですが、安徳天皇の最期についても諸説あります。各地に平家落人の里がある以上、彼らと一緒に逃げおおせたことも考えられ、少なくともトンデモ説として一蹴されるレベルの話ではないと思います」(同)

 我々が史実として教わった歴史が必ずしも正しいとは限らない。ひょっとしたら将来、修正される可能性だってあるのだ。

*写真は栗枝渡八幡神社

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