警視庁が「外事警察4課体制」で中国“産業スパイ”を炙り出す【全文公開】

 諸外国によるスパイ活動やテロ工作に対峙する専門家集団である「外事警察」。諜報機関としての側面もあり、スポットライトが当たることは少ない。だが、今春から組織拡充が図られることから、にわかに注目を集めている。そして刷新策の最終目標は、日本の産業技術に忍び寄る「中国スパイ」の検挙だった。

「『スパイ天国』と言われて久しい日本も、少しずつ変わっていくんじゃないか」

 ある政府関係者が、そう指摘した。外事警察の拡充方針を念頭に置いてのことだ。そしてこう続けた。

「まず警視庁が外事課の組織拡充を図り、先鞭をつけるわけだが、この流れは全国に広がっていくだろう」

 警視庁の外事課は、公安部傘下に置かれている。およそ300人の捜査員から成り、警察庁外事情報部とともに日本の外事警察をリードする存在だ。その外事課が今年4月、3課体制から4課体制へ改編されることになったのである。

 これまでの体制では、外事1課がロシアや東欧などを担当。欧米との情報交換窓口も務めた。外事2課は中国・北朝鮮に主軸を置きつつ、アジア全般を管轄。そして外事3課が国際テロ防止を目的に、主に中東地域を担当してきた。

 今回の改編では、外事2課が分割される。具体的には、北朝鮮を担当する班が外事3課として独立。それ以外は、外事2課に残留する。

 この狙いについて、外事関係者が解説する。

「スパイ活動をますます活発化させる中国と不安要因の多い北朝鮮とを分離し、徹底的に対処するためだ」

 米朝会談で活路が開けず、核・ミサイルの開発を加速させている北朝鮮。経済制裁下で外貨収入が逼迫する中、収益源を求めて非合法活動も辞さないとみられている。そのため、新設される外事3課は、北朝鮮による日本国内での不正輸出や不正送金に目を光らせるのはもちろんのこと、資金獲得を目的としたサイバー攻撃などに対する警戒も強めている。

 一方、中国については、あらゆる組織・個人に諜報活動への協力を義務づけた国家情報法が17年に制定・施行されたことが転機になった。日本国内に在留する中国人も義務を負うことになり、これ以降、スパイ工作はかつてないほど多岐に広がりをみせるようになった。外事2課は中国の国家機関員だけでなく民間人にも焦点を当て、スパイ活動の捜査を強化する方針だという。

 もっとも、別の狙いもあるようだ。外事関係者が付言する。

「北朝鮮と中国を分けたのは、各課に専門性を持たせることで諸外国の情報機関との連携を円滑にする狙いもある。情報の世界は、ギブ・アンド・テイクというのが原則。こちらからの有益な情報があってこそ、貴重な情報が手に入れられるものだ。今後は、そのネットワークをさらに生かせるようにしていく。折しも昨年末、北朝鮮のスパイ活動をつぶさに追ってきた韓国の情報機関・国家情報院の権限が縮小されることになった。今後、韓国からの情報は減るとみられるため、欧米の情報機関との連携はますます重要になる」

 それにしても、なぜ北朝鮮班でなく中国班を独立させなかったのか。スパイ活動をにわかに活発化させている中国こそ、単独の課を作って対応させるほうが理にかなっていまいか。

「中国の勢力範囲は広くアジアに及んでいる。例えば、シンガポールは欧米の情報機関も注目しているが、金融における中国系の暗躍が目立つ。そういったことを踏まえてのことだ」

 外事関係者は、そう解説をするが、実は政治的な配慮もあったようだ。永田町関係者は、

「中国課を作ったら『狙い撃ちだ』と中国が猛反発するだろう。現政権は中国に弱い。だからだ」

 だが、先の政府関係者の見解は異なり、明確にこう述べているのである。

「政府は現在、産業スパイを封じるべく経済の安全保障に力を入れている。特に中国は要警戒だ。最先端医療技術、バイオ、創薬、人工知能‥‥これらが失われれば日本の将来が危うい。そこにくさびを打ち込むための第一歩だ」

 どうやら中国の産業スパイ対策、これが今回の外事警察拡充の最大の狙いのようだ。それほど、産業スパイは日本を跋扈している。そして誰もが、その標的になりえる状況なのである。

 産業スパイといえば、昨年1月にソフトバンク社員が逮捕された事件が、いまなお記憶に残る。

 発端は、その数年前に遡る。ソフトバンク本社に近い東京・新橋の路上で、ロシア人男性に声をかけられ、逮捕された社員が一杯誘われたことであった。

 ロシア人男性は「日本語の勉強がしたい」との名目で何度か飲食を重ねたが、実は在日ロシア通商代表部職員として身元を仮装したスパイであった。

 17年春、スパイはロシア対外情報局(SVR)の科学技術収集班に所属する後任者に、この社員を引き継いでロシアに帰国。

 その後、後任者は社員に定期的に接触し、さまざまな情報を求めるようになる。当初は当たり障りのない情報であったが、次第に機密に触れるようなものへと移り、それに伴って謝礼の金額が増えていった。19年2月には、ソフトバンクの電話基地局の設置に関する作業手順書などの機密情報を売り渡すに至った。

 ソフトバンクは、機密性の高い情報ではないと発表したが、社員が逮捕されなければ、さらなる情報が流出していただろう。

 ちなみに、ロシアのスパイが駆使したのは古典的な手法で、諜報の世界では「ヒューミント(ヒューマン・インテリジェンスの略)」と呼ばれている。スパイ映画のような話だが、普通のサラリーマンでも産業スパイに遭遇しうるのだ。事件はそのことを如実に示していた。

 IT時代ならではの、新しいタイプのスパイ事件も増えている。電子情報を駆使したスパイ手法である「シギント(シグナル・インテリジェンス)」と呼ばれる手法はかねてからあったが、最近は「ヒューミント」がミックスされるパターンが目立つ。

 昨年10月、大阪府警外事課が摘発した事件も、そのひとつだ。大手化学メーカー・積水化学工業の男性元社員が、スマートフォン関連技術を中国企業に漏洩したとして不正競争防止法違反容疑で書類送検されたが、始まりは誰もが使うSNSだった。しかも、世界中のビジネスマン御用達の「LinkedIn」。そこでは、利用者は会社名や役職、専門分野などを公開し、仕事に役立つ情報を交換している。元社員も利用者のひとりだった。

 そこに接触してきたのが中国企業の社員。社員は当初、積水化学の取引先である別の中国企業の関係者を装い、その企業への転職をもちかけた。元社員を中国に招待するなどして関係を深めたうえで、機密情報を引き出したのである。

 新手のスパイ手法はITの進化とともにバリエーションを変え、次々と生み出されているともいうが、こうした事態に対応することも、拡充される警視庁外事課には求められている。

 そんな中、昨年末以降、外事課が活動を活発化させていたことがわかった。組織拡充を前に、早くも動き出した形だ。公安関係者が明かす。

「医薬、バイオ、それから自動車産業にかかわる研究者らを国籍問わず、軒並み調べ始めたが、あちこちから怪しい人物が、さっそく浮かび上がった。中国と関係の深い者が多い」

 具体的な氏名も何人か示された。調べてみると、いずれも日本の有名企業にかかわっていることが判明。

 1人目は、医師資格を持つ外国人で、製薬会社に勤務していた。2人目はやはり外国人で、バイオ系の企業に在籍。3人目も外国人で、自動車産業の幹部。4人目の日本人はすでに退職しているものの、現在も自動車産業に関与していた。

 興味深いのは、この4人の中に中国人がいないことだ。代わりに、中国と関係のある国の出身者や、かつて共産圏にあった国とつながりが深い者で占められている。従来の捜査手法や見立てでは、なかなか的になりにくい存在だ。

 こうなると摘発は容易ではないはずだが、外事課に臆する気配はない。

「これからもっと炙り出していく」

 どのようなやり方をもって4人の存在を突き止めたのか、詳細は明かさなかったものの、公安関係者は、そう意気込む。

 迎え撃つ体制は整いつつあるようだ。国際情勢が流動的な昨今、大いに期待したいところである。

(ジャーナリスト・時任兼作)

※「週刊アサヒ芸能」2月18日号より

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