前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~「個人的信頼関係」の落とし穴~

「外交においては個人的信頼関係の構築が重要である」と、しばしば指摘される。

 一般論としてはそのとおりだ。特に、首脳外交の重要性が高まっている現代にあって、首脳同士で意思疎通できる関係を作っておくメリットを強調しすぎることはない。

 第一期トランプ政権時代、ドナルド・トランプと信頼関係を巧みに構築することができた日本や英国の首脳と異なり、ドイツ、オーストラリア、カナダといった米国の同盟国が苦労したことは外交のプロがよく記憶している話だ。

 だが、長年にわたって日本国内での議論や対応を見てくるにつれ、二つ留意すべき点があると痛感している。

 第一は、「個人的信頼関係」の構築は日本人にとって容易いものではない、という認識から始めることの重要性だ。

 驚いたことがある。外相に就任した上川陽子氏が最初に国連総会に出席した時のことだった。日本人記者から成果を問われた上川外相は、「5日間で16人の首脳・外相および4つの国際機関の長と会談を行い、個人的関係を構築できた」と胸を張ったのである。

 外相レベルでの信頼関係とは、一回面談したくらいで築けるような薄っぺらいものではない筈だ。国際機関での面談だけでなく自ら相手国を訪問し、相手には日本に来てもらう、面談に限られず酒食、さらには地方視察を共にする。こうした機会を重ねる中で、国際社会での森羅万象を巡り侃々諤々の議論を重ねていく、相手国が譲れない問題では配慮を示す一方で、日本がとるべき点はしっかり確保していくといったギブ・アンド・テイクを通じて信頼関係は構築されていくものだ。

 また、日本の政治家や外交官の話は、ありきたりの教科書答弁で詰まらないとのステレオタイプが満ちていることにも目配りが必要だ。そうした「ハンデ」をどう補うか、例えば、洞察力ある私見を忌憚なく開陳する、それができないなら徹頭徹尾誠実な交渉家を演じる、といった対応も欠かせない。

 第二に、「個人的信頼関係」を重視するあまり、その人質になってはいけないと指摘したい。お人好しの日本人にはこの手合いが多いように受け止めている。

 確固とした歴史観、国家観を有し、欧米の首脳に比して位負けせず、日本の歴代首相の中では大きな外交的業績を残した中曽根康弘元首相でさえ、そのそしりを免れないようだ。

「戦後政治の総決算」を打ち出して靖国神社の公式参拝に乗り出した中曽根首相。アメリカや韓国の大統領とだけではなく、中国の胡耀邦総書記とも家族ぐるみの付き合いを含めて個人的信頼関係を築き上げていた。

 しかるに、1985年の公式参拝への反対が中国国内で徐々に高まり、政治問題と化するに及んで翌年の公式参拝は見送られ、その後、同首相による公式参拝は二度と行われなかった。

 中曽根氏は引退後、「私が靖国参拝をやめたのは、胡耀邦さんが私の靖国参拝で弾劾されるという危険性があったからです」と述べている。乾坤一擲の公式参拝を一度は行ったにもかかわらず、なんと中止の理由が「胡耀邦」なのだ。皮肉なことに、参拝をやめたところで胡耀邦の失脚は止められなかった。

 親密な個人的関係故に対応を変えた、これは、中国から見れば、歴史問題で日本に圧力をかければ必ず折れると実感させただけでなく、その際には中国側要人の個人的関係も武器に使えると示したのである。

 国益を離れた個人的信頼関係など外交の世界にはない、と拳々服膺すべきだろう。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。

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