先日、マニラに出張してきた。私が役員を務めているオーストラリアのシンクタンク「地域安全保障研究所」(Institute for Regional Security)主催により、民間人同士のいわゆる「トラック2」会合で海洋安全保障と経済安全保障を論じる会合に参加するためだった。
豪州からは元空軍司令官など、フィリピンからは元外務大臣など、日本からは元自衛隊統合幕僚長、元内閣情報官など錚々たる顔ぶれが一堂に会した。三カ国間会合ということになると、しばしば日米豪、日米韓などは開かれてきたものの、日豪比という組み合わせはあまりなかった。南シナ海の海洋権益を巡ってフィリピンが中国からの露骨なプレッシャーにさらされている現在、基本的価値(民主主義、人権尊重、法の支配)や戦略的利益を共有する日本、オーストラリア、フィリピンの三国が連携、意思疎通を深めておく重要性は強調してもしきれない。いずれもアメリカの重要な同盟国であるところ、東アジアにおけるハブ&スポークの同盟ネットワークの中にあって、「ハブ」たるアメリカとだけではなく、「スポーク」同士で協力を強化する意義は明らかだ。トランプ政権の関心と資源をこの地域に引き付けておくためにも、三か国の連携は不可欠だ。
今回の会合で改めて認識を強めた点は三つだ。
第一は、フィリピンの占める地政学的重要性。マラッカ海峡を経由して南シナ海(西フィリピン海)を通る貨物船がフィリピンの沖合を通ることは地球儀を見れば一目瞭然だ。同時に、バシー海峡を経てすぐ北は台湾。与那国島が台湾から100キロの至近距離にあると述べたら、アルメンドラス元外相から「フィリピンの最北の島は台湾から僅か60キロしか離れていない」との説明を受けた。台湾海峡有事の際にはフィリピンが補給基地として重大な役割を果たすことは間違いない。
台湾のみならず、中国大陸とのフィリピンの繋がりも特筆される。数年前、マニラでのシンクタンク会合で南シナ海を巡る中国との対立を論じた際、フランス大使を務めたフィリピンの女性外交官が「なぜ中国と事を構えるのか?我々の体には中国人の血が入っているではないか」と力説したことを鮮明に覚えている。今や1億人を超えるフィリピンの人口のうち、4分の1程度は何らかの形で中国の血が入っているとの説明を聞かされた。
第二は、日本を取り巻く戦略環境の他に類を見ない厳しさだ。豪・比の二国にとっての安全保障上の懸念は、もっぱら南シナ海方面における中国の動きだ。北朝鮮やロシアにも備えなければいけない日本とは脅威の拡がりや深刻度が異なる。こうした違いを認識しながら協力深化の道を探らなければならない。同時に、中国が設置したブイをいち早く自ら撤去したフィリピンの動きは日本にとって参考になる。
第三は、経済安保についての考え方を擦り合わせていく重要性だ。三か国とも中国による経済威圧に晒されてきた経験を共有するだけに、威圧対策を強化する必要は当然だ。ただし、それを越えて、間口の広い「経済安保」のどこに力点を置くかは国情の違いによる。セキュリティ・クリアランスに関連して、フィリピンでは地方首長に「なりすまし」事案があったばかりだが、互いの経験を持ち寄って対策のレベルアップを図っていくことも有用だろう。
厳寒の信州から常夏のマニラ。実に学びと刺激の多い出張だった。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授(25年4月から)等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)がある。
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