ファイブ・アイズの主要メンバーである某国の対外情報機関にいた人間と、ウイスキーを味わいつつ歓談する機会があった。米、英、豪、加、ニュージーランドに限らずどの国でもそうだが、情報機関出身者ほど外交官に辛らつな人種はいないと言って過言ではない。スパイの身分を隠すカバーとして「大使館員」を名乗る機会がしばしばあり、外交官の仕事ぶりやモノの考え方に触れることも少なくなく、フラストレーションを溜めてきた向きが多いように感じている。
くだんの御仁もグラスを重ねるにつれ、舌鋒が鋭さを増した。
「あいつらは何をするかではなく、何になるかばかり考えている」
言うまでもなく、情報機関とは、身をやつし、手柄を自慢することも許されずにキャリアを全うし、墓場まで秘密を抱いていく人間集団だ。「〇〇局長に昇進しました」「××の大使になります」などと言って回り、退官後は自分の限られた経験をあたかも一大外交事案であるかの如く自慢げに回想録を著す心根とは無縁である。
そういえば、外務省時代、私がインテリジェンス担当の局長ポストである国際情報統括官に就いていた頃、「世間の人間は、『△△局長』というポストを有難がるから、局長と名のついたポストに異動した方がいい」と忠告してきた先輩がいた。当の本人にしてみれば、退官後の再就職をも視野に入れたフレンドリーアドバイスだったのだろうが、外務官僚のみならず霞が関の役人に染み付いている根強い上昇志向と見栄を目の当たりにし、鼻白む思いを禁じ得なかった。
その外務省では、この年始も幹部の大幅な人事異動が行われた。事務次官はじめ主要幹部の多くが在任僅か1年強、長くて2年ほどの短期間で交代を重ねていく年中行事だ。人事を回して「椅子取りゲーム」を続けていかないと組織運営、士気の維持ができないと固く信じているのだろうか?
これでは、新たな職務に慣れた頃に異動時期となり、国内外のカウンターパートへの挨拶回りを漸くひととおり終えた頃に離任の挨拶をすることになりかねない。そんな状況では、在任中に新たなイニシアティブに取り組むことなど、およそ無理筋だ。いきおい、「何をするか?」ではなく、「何になるか?」に重きを置く組織文化が維持・強化されることとなってしまう。
日本の外務省の問題は、こうした頻繁な人事サイクルに在外の大使も巻き込まれがちな点だろう。例えば、イギリスなどでは大使ポストは原則4年としているが、日本ではまず困難だ。本省幹部ほど短期ではないにせよ、おおむね2~3年で代わっていく。受け入れ国からすれば、「新しい大使が来たと思ったら、いなくなっていた」という印象を与えることとなる。
駐豪大使を終え、帰国して挨拶回りをしていた際、ある経産省OBからこう喝破されたことがある。
「外務省の大使経験者で、かつての任国での人脈を退官後も維持している人が如何に少ないことか!」
年々強まる内向き志向に加え、霞が関独特の頻繁なトコロテン人事。これでは、よほどの努力をしない限り、人脈など構築・維持できるわけはない。深刻である。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授(25年4月から)等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)がある。
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