前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~「一つの中国」からの卒業?~

 昨年から今年にかけて、民間シンクタンクによる日米豪、日豪比の三か国会合に相次いで出席してきた。

 いずれにおいても最大の関心は、中国の攻撃的な戦狼外交と急激な軍事大国化に如何に向き合い、台湾海峡有事を予防していくかという問題にあった。有事を防ぐための抑止力の強化、そして万が一、抑止が崩れた場合の対処能力を向上させておくことに異論はなかったが、その関連で複数の論者が「一つの中国」こそ梃に使うべきとの議論を提起したことが注目を集めた。

「一つの中国」とは、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であり、台湾は中華人民共和国の領土の一部であるとする中国の立場だ。

 1970年代初頭、日本やアメリカが台湾の中華民国政府との外交関係を断ち、北京の中華人民共和国政府との外交関係を開設するに当たって、中国側が一番こだわったのはこの点だ。アメリカ政府は、中国側の立場を「認める」(acknowledge)とし、日本政府は中国側の立場を「十分理解し、かつ、尊重する」とした。大事なことは、いずれも「一つの中国」に同意もしていなければ、「受け入れる」ともしていないことである。そして、大事な前提は台湾問題の平和的解決であって、すべてはその前提に立った上での話だ。

 爾後、アメリカも日本も、台湾との関係は「非政府の実務関係」ということで外交当局とは別に設置した民間機関を通じて維持してきた。かたや、「一つの中国」を金科玉条視する中国は米台、日台の関係強化に事あるたびに神経を高ぶらせて反発してきた。例えば、2022年のナンシー・ペロシ米国下院議長の台湾訪問に対しては強烈に反発し、台湾周辺で大規模な軍事演習を行い、その際、日本の排他的経済水域に5発もの弾道ミサイルを撃ち込んできたことは記憶に新しい。行政府の一員でない立法府の人間が台湾を訪問することは「非政府の実務関係」に照らして何ら問題なく、前例もあった。にもかかわらず、あれほどまでに激烈な反発を示したことは、台湾統一を宣明して止まない中国が「一つの中国」を手前勝手に解釈し、その縛りを年々強化しつつあることを如実に示している。

 シンクタンクでの論者の指摘は、中国がそこまで拘泥するのであれば、むしろそれを逆手にとって抑止力を強めてはどうかとの発想だ。すなわち、仮に中国人民解放軍が金門島や馬祖島への侵攻など武力の行使に踏み切った場合、「一つの中国」という擬制は画餅に帰し、アメリカや日本が台湾を国家として承認し外交関係を開設する、その旨を予め宣言して中国による危険な冒険主義にブレーキをかけておく、というものだった。

 振り返れば、「一つの中国」という擬制をニクソン、キッシンジャーが認めてから半世紀が過ぎた。この間、台湾は中国大陸に先駆けて先進経済への発展を遂げるととともに、東アジアに冠たる民主主義体制として確固とした足跡を残してきた。東日本大震災の義援金をあげるまでもなく、最も親日的な「外国」であることは周知の事実だ。「キッシンジャー・フォーミュラ」を見直す時期が来ているのではないだろうか?

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)等がある。

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