松坂と投げ合った甲子園がピーク?日テレ・上重聡アナの人生シーソーゲーム

 全国高校野球選手権も大詰めを迎えているが、テレビ界でも甲子園を沸かせた元球児は少なくない。もっとも印象的な選手の1人と言っても過言ではないのが、日本テレビの上重聡アナウンサーだ。

 上重アナは強豪校のPL学園(大阪)でエースとして活躍。1998年の夏の甲子園大会準々決勝では、PL学園は現中日の松坂大輔投手を擁する横浜高校(神奈川)と対戦し、延長17回の死闘を繰り広げた。上重アナは7回から登板して好投を続けていたが、17回表に決勝2ランを打たれゲームセット。打たれはしたが、上重アナの好投も光った好ゲームだった。

 その後、上重アナは立教大学に進学し大学野球でも活躍したが、2003年、アナウンサーとして日本テレビへ入社。スポーツ中継などで頭角を現し、15年3月30日から情報番組「スッキリ!!」の総合司会に抜擢。将来を嘱望されていたのだが…。

「その直後、15年4月2日発売の『週刊文春』が、上重アナが14年3月に東京港区の高級マンションを購入した際、大手靴販売チェーンの創業者から1億7000万円を無利子で借りていたことを報道。さらに、創業者から借りた高級外車ベントレーで出社する派手な生活ぶりも伝えていました。人気番組の総合司会に抜擢された直後のスキャンダル発覚で、局内部からも視聴者からも、上重アナのイメージは一気に悪くなりました」(芸能記者)

 最近では、甲子園で激闘を繰り広げた松坂がらみでもイメージを悪化させた。

「5月17日発売の『フライデー』が、右肩の故障によるリハビリ中にもかかわらず、松坂が千葉県内でゴルフを楽しんでいたことを報じました。そのとき、上重アナもゴルフに同行していたのです。当然、松坂は批判されましたが、上重アナも《お前が松坂を誘ったんじゃないのか》などと、根拠のない理由で非難されていました」(前出・芸能記者)

 7月には一部スポーツ紙が、結婚秒読みと見られていたモデルの安座間美優との破局を報道。あの夏の甲子園の激闘が、上重アナのピークだったかも。

(石田英明)

エンタメ