政治部デスクが明かす。
「そもそも〝安倍一族〟からの擁立には地元後援会もこだわりがあった。その背景には、同じ下関を地盤とする林芳正外相(62)の存在があるためです。県下最大都市である下関では、安倍氏と林氏の勢力が、その父の代(安倍晋太郎─林義郎)から激しいトップ争いを繰り広げてきた」
今月5日、安倍氏没後初の地元選挙となる下関市議選の結果に注目が集まっていたが、
「選挙は、安倍氏に近い現職が2人落選、一方で林系の現職は現状維持の上、新人2人が当選。長きにわたる安倍一強で優勢だった安倍系が勢力を衰退させる結果となったのです。次の衆院選では、『10増10減』の区割りで、山口の選挙区は1つ減り、安倍氏の4区は新3区となる。ここに林氏が出馬すれば下関は林系の牙城となるでしょう。そればかりか、仮に補選前に解散するようなことになれば、安倍家どころか岸家の政治家血脈さえ危うくなる可能性があるのです」(政治部デスク)
永田町でも安倍イズムは退潮著しく、瀕死の状態だ。
「安倍派の新会長がいまだ決まらないのは100人近い大所帯であることが元凶となっています。安倍さんに代わってこの人数を束ねられる派閥の領袖は出てこないでしょう。現状では、萩生田光一政調会長(59)が一歩リードとも言われているが、決まれば確実に派閥が空中分解するのは間違いない」(政治部デスク)
最大派閥を誇った安倍派も雲散霧消となれば、安倍一強の威光も薄れるばかりだ。
果たして草葉の陰で安倍氏は何を思うか。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう考察する。
「安倍さんには子供がいなかったが、自分の選挙区に懐刀というべき子分の議員も作らなかった。つまり、自分が最後までやり切って安倍家を終えるんだという意識を持っていたのではないか。一時期、清和会のメンバーを四天王などと称し、自分の後継者として名指ししたこともあったが、本音では〝もう一度自分が〟という思いがあったのではないでしょうか」
果たして、3度目の安倍政権で祖父の代からの悲願である憲法改正は実現しただろうか。
近鉄大和西大寺駅前の銃撃現場は慰霊碑などを設置せず、車道となることが決まっている。すでにガードレールは撤去され跡形もない。その様は、風化に拍車がかかる安倍家の映し鏡のようだ。
*週刊アサヒ芸能3月2日号掲載