昨年夏、参院選遊説中の惨劇から早6カ月。政界から「安倍家」の名前が消えようとしている。憲政史上最長の3188日(8年8カ月)の総理在任期間で「安倍一強」と我が世の春を誇った故・安倍晋三氏だが、その末路はまさに凶弾と共にかき消されてしまった。残された安倍一族の今をたどる。
注目されていた安倍晋三元総理(享年67歳)の死去に伴う衆院山口4区の補欠選挙の日程が4月23日に決まった。自民党が安倍元総理の跡目として公認を決めたのは無名の新人・吉田真次氏(38)だ。政治部デスクが解説する。
「政界では、代議士が急逝した際に、身内親族が出馬して〝弔い合戦〟を果たすことは常道です。過去にも小渕優子氏(49)、中川郁子氏(64)、永岡桂子文科相(69)などの例もあったが、子供がいない安倍家では、第一候補になったのが昭恵夫人(60)でした。みずから『家庭内野党』と公言しながらも安倍さんの最大の理解者であり、やり残した夢を引き継ぐ候補として最適だと地元後援会からも推す声が上がっていた」
しかし、もとより政治には関心のなかった昭恵夫人は出馬を固辞。そのため地元の下関市議だった吉田氏を繰り上がりで擁立することになったという。
昨年12月末、下関、長門の2つの事務所で昭恵夫人みずからが「あべ晋三」の看板をひっそりと下ろした。官邸キャップが昭恵夫人の現況を説明する。
「安倍さんの生前、昭恵さんは渋谷の安倍家で暮らしていました。しかし、この家は母・洋子さん(94)と兄の寛信氏(70)一家と3世帯が同居する大邸宅で、高齢の洋子さんの身の周りの世話を兄夫婦が見ていた。もとより洋子さんと折り合いが悪く、ホテル暮らしをすることが多い昭恵さんですが、今は安倍家を出て下関で生活しているようです」
2月11日、下関で開かれた安倍氏の追悼写真展で、その昭恵夫人の姿が目撃されている。
「昭恵さんは後任の吉田氏と一緒に会場を訪れています。現在は地元の挨拶回りなど引き継ぎパフォーマンスに駆けずり回っている。銃撃事件を受け、昭恵さんは経営していた東京・神田の居酒屋を10月に閉店。今後は、生活拠点を東京から山口へ移すことを決めているそうです」(官邸キャップ)
第2の人生は安倍家の墓のある山口の地でスタートさせたい、という意向なのだろうか。
実は、この後任候補、すんなりとはいかず、決まるまでに紆余曲折があった。
「後任選びのキーマンとなったのがゴッドマザーこと洋子さんの存在です。『政界から安倍一族の血を絶やしてはならない』という洋子さんの考えの下、後任を安倍一族から擁立する作業が行われました。具体的には、寛信氏の長男と岸信夫氏の2人の息子です」
それでも、「3人の孫」から後継者が出ることはなかった‥‥。
*週刊アサヒ芸能3月2日号掲載