【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第5回〉(1)「安倍さんは最高の官房長官を選んだ」

 日本憲政史上最長の総理も、第一次政権は短命に終わっている。しかし、捲土重来を期して再起。盤石の態勢を敷き、次々と改革を断行し続けたものだ。もし非業の死を遂げていなかったならば‥‥。〈作家・大下英治〉

 第一次安倍内閣は、小泉内閣の禅譲と言えた。それでも、スタートは良かった。理想に燃えた安倍は、「美しい国づくり」と「戦後レジームからの脱却」をスローガンに掲げ、平成十八年九月の組閣当初の支持率は七十%近くを記録するほどの人気ぶりだった。

 しかし、人気は長く続かなかった。総理に就任したその年の冬。十二月四日、安倍総理は、小泉政権下の郵政国会で郵政民営化法案に造反し、自民党を除名された議員十一人を優しい性格ゆえに復党させた。それ以降、安倍内閣の人気は急落。支持率は五十%台へ急降下。その後も復活することなく、落ちる一方となる。

 十二月十六日、「週刊ポスト」(平成十八年十二月二十二日号)に「本間正明税調会長『愛人と官舎同棲』をスクープ撮」が掲載された。総理大臣の諮問機関である政府税制調査会会長の本間が、公務員官舎の同居人名義を妻の名前にしつつ、愛人と同棲しているという内容の記事だった。安倍総理は、本間を守ろうとしたが、本間は五日後に税調会長を辞任せざるを得なかった。続いて、佐田玄一郎内閣府特命担当大臣、松岡利勝農林水産大臣、赤城徳彦農林水産大臣らに事務所費をめぐる疑惑が次々と発覚する。

 平成十九年七月の第二十一回参議院議員通常選挙で、与党・自民党は過半数割れの惨敗を喫した。

 安倍総理は、九月十二日、続く失態から持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、突然辞任する。「政界一善人」と言われた父・安倍晋太郎的優しさが裏目に出たと言えよう。

 しかし、安倍はあきらめなかった。再起し、第一次安倍政権から五年三カ月後の平成二十四年十二月、第二次安倍政権をスタートさせた。第二次内閣がスタートしてから、安倍は、父親・晋太郎の人柄の良さに加え、「政界一」と言われた祖父・岸信介の政治的なしたたかさの両方の面を匂わせるようになった。

 安倍は、まず人事において、第一次安倍政権で経済産業省からの事務の総理秘書官を務めた今井尚哉を政務の総理秘書官に据えた。

 事務の総理秘書官は、財務省や外務省、経済産業省などからの出向である。が、政務の秘書官は、役人を辞めなければならない。官僚にとってトップである事務次官就任目前で、役所を去ることになるのだ。

 が、今井は、腹を決めた。

〈これは、大変なことになったな。でも、もう失敗はできない。どういう世界が待ち受けているかわからないが、とにかく、身命を賭すしかない〉

 官房長官には、第一次安倍内閣で総務大臣であった菅義偉を選んだ。

 長年、政界にいる鈴木宗男は思う。

〈安倍さんは、最高の官房長官を選んだ。政権の強みになっている。第一次安倍内閣とはまったく違うところだろう〉

 菅は、評価どおり、目立った失言・失敗をしなかった。言うべき時には口を開くし、縛りをかける時には躊躇なくかける。大した手綱さばきであった。

〈文中敬称略/連載(2)に続く〉

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