安倍晋三は、平成十八年九月二十六日、ついに総理大臣に就任した。五十二歳という戦後最年少の若さであった。
が、それから一年後の平成十九年九月十二日の午前十一時四十数分、TBSテレビで突然「安倍総理辞任」とのテロップが流れた。
昭恵夫人から聞いたところによると、その瞬間に彼女の携帯電話が震えた。
出ると、友人からの電話であった。
「昭恵さん、どうなってるの!? 総理、突然の辞任なんて‥‥」
「え? 嘘!」
「嘘じゃないわよ。TBSテレビをつけてごらんよ」
昭恵夫人は、慌ててテレビをつけた。
嘘ではなかった。しかし、到底信じられなかった。その日の朝、夫は辞任するなど、口にもしていなかったのだ。
安倍は、機能性胃腸障害という難病の悪化で政権を投げ出さざるを得なかったのだ。
昭恵夫人は、あまりの衝撃にそれから二日間の記憶は消えているという。
三日目、昭恵夫人は、総理公邸の荷物を渋谷区富ヶ谷の自宅へ自ら運転して運んでいた。その時、車窓から見える街行く人たちが、みんな幸せに映り、こう思った。
〈わたしたち夫婦ほど惨めな存在はない‥‥〉
つい三日前まで、世界の要人たちが総理官邸を訪れてきて、華やかなパーティーも催し、自らも楽しい日々であったのに‥‥。
昭恵夫人によれば、夫に言ったという。
「もしこれ以上、政治家を続けるのが苦しいようでしたら、お辞めになってもいいですよ。わたしは、政治家の妻であることに固執はしていませんから」
すると、安倍はきっぱりと言った。
「おれは政治家を辞めない。まだまだやらなければいけないことが残っている」
平成二十一年、アサコールという薬が日本でようやく認可され、それが劇的に効いた。四十年間、炎症反応が無くなることはなかったが、薄らいだ。
平成二十四年九月の安倍にとって二度目となる総裁選に出馬する前、昭恵夫人は安倍に次のように話したという。
「森先生も、今回の出馬はやめておけと言っていますが‥‥」
清和会のかつての会長であり、安倍の兄貴分的存在の森喜朗元総理は、安倍に忠告していた。
「もし今回失敗すると、二度と総裁の芽はないぞ。もし待っておけば、必ず総裁への待望論が起こる」
しかし、安倍は昭恵夫人に敢然と言った。
「今、日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題にしても、北方領土問題にしても、政治家としてこのまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。おれは、出るよ。もし今回失敗しても、おれはまた次の総裁選に出馬するよ。また負ければ、また次に挑戦するよ。おれは、自分の名誉や身体のことなんてかまっていられない。国のために、おれは戦い続けるよ」
昭恵夫人は、そんな安倍を励ましたという。
安倍は、この総裁選に勝利し、十二月の衆院選後、再び総理に就任した。
作家・大下英治
〈文中敬称略/連載(3)に続く〉