【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第4回〉(2)「憲法改正」は孫に託された

 岸は、総理に就任するや、自分に言い聞かせたという。

〈安保改定を実現することが岸内閣の使命である。それこそが、政治家として、国民に対して責任を果たすことになる〉

 昭和三十五年一月六日、安保改定に関する交渉は正式に妥結した。

 六月十五日夜の安保改定反対の国会デモで、警視庁調べによると、警官三百八十六人、学生四百九十五人が重軽傷を負った。警官隊は催涙ガスを使用し、バリケード代わりにならべた十五台のトラックが炎上した。東大文学部四年生の樺美智子が、そのデモに巻き込まれて死んだ。

 政府は、六月十六日午後の臨時閣議でアイゼンハワー大統領の訪日延期を要請することを決めた。岸は、アイゼンハワーの訪日延期の要請を決定した時、決意する。

〈総辞職をするしかない〉

 岸は、腹を決めていた。

〈安保改定が実現されれば、たとえ殺されてもかまわない。死に場所が総理官邸ならば、以て瞑すべしだ〉

 岸は、その夜、官邸に集まっていた各閣僚をそれぞれの役所に帰した。

 岸は、腹を据えていた。

〈殺されるのなら、わたしひとりでいい〉

 が、実弟の佐藤栄作だけは残った。

 佐藤は言った。

「兄貴を、ひとりで置くわけにはいかない」

 そこで、ふたりだけで籠城することになったのである。

 佐藤は、瓶とグラスを持ってきた。

「兄さん、ブランデーでもやりましょうや」

 兄弟ふたり、深夜の総理官邸でブランデーをなめながら、自然承認に至るのを待った。

 六月十八日が終わり、十九日の午前零時になった。改定安保条約は、自然承認となったのであった。

 七月十四日、安保改定という大仕事を成し遂げて総理の座を退いた岸は、自民党大会で選出された池田勇人新総裁の就任祝賀レセプションに出席した。連載の初回で触れたように大野伴睦と次の総理にするとの「密約」を交わし、裏切ったせいで、安保闘争の余燼冷めやらぬ中、岸はその席上で、大野サイドの右翼の荒牧退助にいきなり斬りつけられた。命はかろうじて助かった。

 なお岸は、のちに語っている。

「政治においては、国のためなら、悪も許される」

 岸は、核兵器の問題について次のように発言した。

「現憲法下でも自衛のためなら核兵器の保有は可能である」

 この憲法論は、後になお有効に作用することになる。

 安倍が「核共有」について議論すべきというのも、岸の流れを汲んでいた。

 岸は念願の憲法改正を孫の晋三に託したわけである。

作家・大下英治

〈文中敬称略/連載(3)に続く〉

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