【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第3回〉(3)どこまでも妻をかばい続けた

 安倍昭恵は、安倍が自民党総裁に返り咲いたにもかかわらず、平成二十四年十月十日、東京都千代田区内神田に、安倍総理の故郷山口県の地酒や、そこで育てた無農薬、無添加の食材などがウリの和食居酒屋「UZU」をオープンした。

 彼女によると、その時、安倍晋三にふたつのことを約束させられたという。

「わたしがすごい酒飲みなのよくわかっているので、経営者が飲むような店は絶対潰れるからと、店では飲まないこと。店で飲んで、つい太っ腹になって、『いいよ、ご馳走してあげる』なんて、来たお客さんにみんなご馳走しちゃったり、自分が酔っちゃったりすると、店としては成り立たないので。自分の店では飲まないってことを約束させられました。

 借金をして始めたので、ずっとその借金がかさんでいくと大変なことになってしまう。赤字でなければ、そのまま続けていいけど、一年経っても赤字が続いてるような状態であるなら、即、やめること」

 店は現在も繁盛し続けている。

 平成二十七年九月、その昭恵は森友学園が経営する予定の「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長へ就任した。

 その後、この学園の建設予定地の国有地払い下げに関連して昭恵が関与したのではとマスメディアによって報道され、国会でも野党によって追及された。

 平成二十九年二月十七日、安倍総理は国会でこの疑惑を追及された際、関与を否定して次のように述べた。

「わたしも妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係がないわけでありまして、わたしや妻が関係していたということになれば、まさにわたしは、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい」

 本来ならば、さらに長期に政権を運営できた安倍だったが、再び病に襲われた。治療薬であるアサコールが効かなくなってしまったのだ。

 第一次安倍政権同様、辞任せざるを得ず、令和二年八月二十八日、記者会見で自ら表明した。

 ポスト安倍の総裁選で、安倍が筆者に語ったところによると、表立って活動したわけではないが、最終的に菅義偉を推したという。

「任期途中での辞任というかたちになりましたので、菅さんには安心して任せられるという気持ちがありました」

 そこで昭恵夫人の名が出た。彼女は、菅のことをよく評価しているという。

「わたしの妻も、菅さんの仕事ぶりを見て、『あんなに一生懸命に仕事をしているんだから、あなたはもっと菅さんに感謝しなければダメよ』なんてよく言われました」

 森友問題が火を噴き、もしかして昭恵夫人と仲が悪くなっているのでは、との声すらある中での答えである。いかに昭恵夫人が攻撃されようとも、妻をかばい、さらに政治的決断においても妻の意見を聞くほどに深く愛していたのだ。

 一方、わたしは昭恵夫人に、夫である安倍晋三の魅力について訊くと、興味深いことを口にした。

「人間、何年か接していると、どこか嫌なところが目につくじゃない。ウチの人って、嫌なところが一点もないの」

作家・大下英治

〈文中敬称略/連載(4)に続く〉

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