昭和六十二年十月八日、ポスト中曽根を決める自民党総裁選が告示され、竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一が名乗りを挙げた。三人は、本選挙を回避し、話し合いによる決着を目指した。
十月十九日の昼十二時二分、晋太郎は赤坂プリンスホテル新館の九一〇号室に入った。竹下も、一緒に入った。これから、ふたりで最後の一本化調整を図るのだ。
晋太郎が攻めた。
「竹さん、あんたはおれにずっと『あんた、先にやれ』と言ってきたじゃないか。だから、おれは、あんたの協力を得て安倍政権をつくろうと考えてきたんだ。幹事長だって、おれは金丸(信)に言われて、あんたに譲った。金丸さんはあの時、幹事長は次期政権の調整役に回らざるをえないから、竹下にまかせろ、と言った。おれは、それで、あんたに譲った。ところが、どうだ。話がまったく違うじゃないか」
「‥‥」
竹下は、もっぱら聞き役にまわった。
晋太郎は、激してきた。
「おれは、竹下政権を目指す金丸さんに利用されてきただけじゃないか。どうなんだ、竹さん、この期に及んで、おれは絶対に降りん」
晋太郎は、安竹会談の途中、赤坂プリンスホテル新館の九一〇号室を出て、トイレに立った。
安倍派事務総長の三塚博のいる控えの間に行った。三塚に、ふと漏らした。
「三塚君、おれはつらい。同期だが、やはり派閥の規模から言って、経世会は大きい。竹さんの苦しむ姿なんて、もう見てられないよ。おれたちは、親友だからなあ」
晋太郎は、右手を水平にして喉のところに持っていった。
「『竹さん先にやれよ』と、ここまで出かかってる。おれはつらい。どうしたもんだ‥‥」
二人は、昭和三十三年初当選組で同期ではあるが、晋太郎は、昭和三十八年十一月の総選挙で落選しており、当選回数は、竹下のほうが一回多い。安倍晋太郎の秘書であった奥田斉は、その時の晋太郎の心理を推測する。
〈それだけに、当選回数の少ない自分が、竹下を押し退けて先に総裁になるわけにはいかない、という気弱な気持ちがどこかにあったのかもしれない〉
中曽根総理は、総理に白紙一任と決まったことを受け、総裁候補を竹下に決めた。
なお、安倍晋太郎は筆者にこう言ったことがある。
「竹さんと五つの約束をすると、二つは裏切られることがある。それでも、俺は竹さんを恨む気にはなれないんだ」
晋太郎の優しすぎる点と、晋太郎を裏切りながら、相手を怒らせないようにしたたかに動く竹下を表すエピソードといえよう。
安倍晋三は、岸のこのようなしたたかさと、父・晋太郎の優しさの二つのDNAを受け継いでいる。
それが第一次安倍政権では父親・晋太郎的優しさで失敗に、第二次安倍政権では祖父・岸信介的したたかさで長期政権となっていく‥‥。
作家・大下英治
〈文中敬称略〉
*「週刊アサヒ芸能」9月1日号掲載