【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第5回〉(3)「安倍総理の後は安倍総理」

 官邸内の意思疎通の面で言えば、第一次政権の時にはなかった会合が大きく機能し、政権運営の上で一番の違いとなっている。

 安倍総理、菅官房長官、衆参の官房副長官、杉田和博官房副長官、今井政務秘書官の六人による会合が、毎日、二十分ほど開かれている。正副長官会議と名付けられているこの会合は、総理室で開かれているため記者らにも気づかれず、世の中の動静にも出ていない。

 第一次政権ではあまり見られなかった光景である。第一次政権の時から、今井は思っていた。

〈官邸の意思疎通が大事だ。官邸の六人の意思疎通こそが、政権安定の要諦である〉

 その意思疎通の場が正副長官会議であり、総理の考えをみんなが共有し、衆議院、参議院における国会審議への対応もこの場で行う。また、総理へ進言する場でもある。

 平成二十六年四月、内閣人事局の新設を柱とする公務員制度改革関連法案が可決、成立した。政府は人事局を発足させ、各閣僚の協議で各省庁の幹部人事を決める新制度がスタートすることになった。

「内閣人事局」が新設されることで、各省庁の官僚自身が作成していた人事案はなくなり、閣僚による職員の人事評価を考慮し、内閣人事局長が幹部候補者名簿を作成。名簿に基づいて閣僚が任用候補者を選び、総理や官房長官が加わる「任免協議」を経て、審議官級以上の約六百人の幹部人事を決めることになった。

 安倍は、発足式で訓示した。

「(従来の霞が関は)船団だった。これからは一つの大きな日本丸という船に乗り、国民、国家を常に念頭に仕事をしてほしい」

 内閣人事局の役割は、これまで各省庁がまとめてきた人事を一手に担うことで政策にスピード感を持たせることだ。

 内閣官房参与の丹呉泰健は、事故で退任した谷垣禎一の後任の幹事長に、二階俊博を据えたのも、安倍総理のしたたかさだという。

 第二次安倍政権が続く中、自民党内には、総裁任期の延長論が沸き起こっていった。二期六年を、三期九年に変更しようというのである。火を点けたのは、二階であった。

 平成二十八年八月三日に幹事長に就任した二階は、幹事長として自民党の党則改正を主導し、平成二十九年三月の自民党大会で総裁任期をそれまでの「二期六年」から、「三期九年」への変更を主導した。

 この改正により、安倍は、平成三十年八月の総裁選への出馬が可能になり、さらなる長期政権を築いていくことになる。

「安倍総理の後は、どなたが(総理を)されるのですか?」

 記者からそのような質問を受けると、二階は、いつでも次のように答えていた。

「安倍総理の後は、安倍総理です」

作家・大下英治

〈文中敬称略/連載(4)に続く〉

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