【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第5回〉(4)6度の国政選挙を連戦連勝

 第二次安倍政権における安倍総理の外国訪問回数は八十一回。八十の国・地域を訪問し、のべ百七十六の国・地域を訪問した。総飛行距離は百五十八万千二百八十一キロメートルとなり、地球を約四十周した計算だ。

 積極的な外交により、各国首脳との信頼関係も非常に深いものとなっていた。国連総会へ出席すると、一般討論演説が終わった後、出席国の人々が安倍に握手を求める風景が展開された。また、安倍が会場内を歩くと若い外国人がスマートフォンで写真を撮りに来ることもあった。

 野上浩太郎官房副長官は、日本の総理としての在任期間が長く、各国首脳と信頼関係を築き、国際会議で議論をリードしてきたという実績により、安倍は日本の顔として世界に定着してきているのだと、感じたという。

 第二次安倍政権は令和二年九月まで続き、通算在任日数八年八カ月は憲政史上最長を誇った。

 長期政権を築くことができたのは、政権の座に返り咲いた平成二十四年十二月の衆院選を皮切りに、衆参合計六度の国政選挙を勝ち続けたからだった。安倍はのちに在任中を振り返り、「衆議院の解散について考えない日は一日もなかった」と語っているが、それほど選挙に勝つことに執念を見せていた。

 第二次安倍政権も、持病で政権を閉じたが、薬が十二分に効いて、今では完全に良くなった。だから今回の参院選でも、ものすごいスケジュールで日本中を回っていた。

 その途中、奈良で凶弾に倒れてしまった。

 安倍はまだ六十七歳であった。上の世代の力を持った政治家たちはやがていなくなる。党内の最大派閥(清和会=安倍派)を率い、その力は強く、安倍の時代が今後十何年近く続くはずだった。

 三回目となる総理大臣への返り咲きも可能となる環境すら整っていた。退任後に力を持った田中角栄は罪人になっていたから「闇将軍」と言われたが、安倍は罪があったわけではないから「昼将軍」として堂々と力を振るい続けることができた。岸信介は満州国をつくり「満州の妖怪」、「昭和の妖怪」と言われたが、安倍は爽やかで一見、妖怪風でないのにしたたかな「令和の妖怪」として力を振るえる可能性があったのに‥‥。〈文中敬称略、了〉

作家・大下英治

*「週刊アサヒ芸能」9月8日号掲載

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