【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第3回〉(4)手を握り返してくれた気が

 総理退任後も力を誇り続けた田中角栄はロッキード事件の裁判を抱えたために「闇将軍」と言われたが、安倍は闇ならぬ「昼将軍」として力を誇り続けると思っていた。祖父の岸信介は「昭和の妖怪」と言われたが、安倍は爽やかで、一見、妖怪風でないのにしたたかな「令和の妖怪」として力を振るい続けると信じていた。

 だが、安倍は、奈良で参院選の応援演説中の令和四年七月八日午前十一時半頃、凶弾に倒れてしまった。

 七月十二日午後一時から東京都港区の増上寺で行われた安倍元総理の葬儀で、昭恵夫人は紙を読むことなく、喪主としての挨拶をした。

「あまりに突然なことで、まだ夢の中にいるようです。あの日は、朝八時にご飯を一緒に食べてお見送りをした。そうしたら、十一時過ぎに撃たれたと連絡があって、母の洋子さんには言わないでと言われたのですが、『えっ』と声を上げてしまいました。平静を装っていましたが、テレビが流れ始めてしまって。事件後に病院に駆けつけて、主人と対面した時、手を握ったら、握り返してくれたような気がした。主人のおかげで、経験できない色々なことを経験できました。すごく感謝しています。いつも自分をかばって助けてくれた。主人は家では優しい人で、人を喜ばせるのが本当に好きな人、人のためにするのが好きな人なので、こんなにたくさんの人が葬儀に参列してくれたことを喜んでいることでしょう。安倍晋三を支えてくれて、本当にありがとうございました。(吉田松陰が綴ったように)十歳には十歳の春夏秋冬があり、二十歳には二十歳の春夏秋冬、五十歳には五十歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは、総理目前に倒れたが、六十七歳の春夏秋冬があったと思う。主人も、政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

 出棺は午後二時半過ぎ、昭恵夫人は棺に花を手向けた後、夫に頬ずりし、別れを惜しんだ‥‥。

作家・大下英治

〈文中敬称略〉

*「週刊アサヒ芸能」8月18・25日号掲載

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