そんな藤井の強さを語る上で欠かせないのが、コンピュータ将棋ソフトによる「AI研究」だろう。「タヌキの為に鐘は鳴る」などのソフト開発に携わる野田久順氏が解説する。
「パソコンのモニターに映る盤面に局面を入力すると、最善手や先手・後手のどちらが優勢かを『評価値』と呼ばれる数値で示します。一手ごとの全パターンをしらみつぶしに読む『全幅探索』がプログラミングされており、人間の頭脳よりも短い時間でより深く広く読むことが可能になりました。藤井さんも評価値が表示される機能がお気に入りで、プロ入り前の奨励会三段リーグ時代から事前研究の一環として活用してきたようです」
その具体的な活用方法については、コンピュータ将棋ソフト「水匠」開発者の杉村達也氏が続ける。
「大きく2パターンに分けられます。一つ目は、自分の対局を振り返る『復習』。AIに一手ごとに評価させて、形勢が傾いた場面や悪手を指した場面を割り出します。二つ目は、対局前に有利な局面を洗い出す『予習』。対戦相手の棋譜をデータベースから取り寄せてソフトに入力し、序盤の展開を研究します。今回の棋聖戦の棋譜は、途中まで前回の対局を踏襲したものでした。おそらく二人ともAIを用いた事前研究をして対局に臨んだのでしょう」
ともすれば、序盤の形勢は、棋士同士の実力よりもAIの性能で左右されそうである。トップ棋士の中で頭ひとつ抜きん出るためには、AIを扱うハード面の充実も忘れてはならない。「AI将棋の申し子」とまで評される藤井は、自作の「ハイスペックPC」を用意して研究環境を整えているという。ITジャーナリストの西田宗千佳氏によれば、
「PCの脳にあたるCPUに、『Ryzen Threadripper 3990X』という最高クラスのパーツを使用しています。価格は50万円で、研究者や複雑な計算を伴うエンジニアが使う代物です。その他のメモリーなどのパーツを含めると、全体で100万円は下らないと思われます」
さらに、野田氏が補足するには、
「1秒間に7000万手を読むことができると言われています。わずか10秒で7億手の『超速AI研究』が可能なんです」
一般的なノートパソコンと比べても性能は桁違いのようで、
「市販のノートパソコンと藤井先生のPCだと、20〜30倍ぐらい計算速度に差があります。一般的に2倍の差があるだけで、AI同士の勝率は高性能なほうに7割5分〜8割は傾くと言われています。読みの深さとPCの性能は比例するとされ、藤井先生は事前研究の時点で大きくリードしている可能性があります」(杉村氏)
棋聖戦の勝敗は、盤外の時点で決していたのかもしれない。