「男子、三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったもの。日々の鍛錬で進化を続ける天才棋士は、また新たな最年少記録の更新に王手をかけようとしている。将棋という対人競技において、いかに人と会わずして類いまれな強さを身につけたのか。コロナ禍にも動じない独自トレーニングの全貌に迫る。
6月6日、「第92期ヒューリック杯棋聖戦」の第一局で、藤井聡太二冠(18)と前タイトル保持者の渡辺明三冠(37)が激突。昨年のリベンジに燃える渡辺の仕掛けに、真っ向から迎え撃つ藤井の実力が際立つ対局だった。将棋専門誌ライターが戦況を振り返る。
「先手の渡辺さんが選んだ戦型は、互いに居飛車の先の歩を動かす『相掛かり』。玉の周囲をあまり囲わないうちに戦いが始まり、指し手の早い激しい将棋になりました。まさに盤上の殴り合いで、開始から1時間も経たないうちに、両者とも羽織を脱ぐ熱戦になりました」
そして、どこか既視感のある序盤の展開にギャラリーがザワつき始める。現地で解説を務めた屋敷伸之九段(49)が語る。
「二人が最後に対局した『朝日杯将棋オープン戦準決勝』(21年2月11日)と全く同じ進行でした。藤井二冠の大逆転勝利となった対局でしたが、終盤まで渡辺三冠の優勢で進んでいました。事前準備をした上で、雪辱を晴らしたい思いがあったのかもしれません」
結果、37手目までは前例を完全コピーした局面が続いた。先手必勝を試みた渡辺のシナリオに綻びが生じたのは、藤井が繰り出した42手目。常識破りの「8七同香不成」によってペースを乱されることになる。
「この一手には驚きました。セオリーでは敵陣に入った駒は成るものです。確かにこの場面では、成ったところで次の狙いに乏しかったので、あえて成らずに桂馬を取る手を残したのでしょう」(屋敷氏)
さらに、渡辺を思考の迷路へと誘う「神の一手」が炸裂する。
「60手目の手裏剣と呼ばれる『8八歩』です。相手の飛車取りを放置する一手だっただけに、見事でした。みすみす飛車を渡すことになりかねないので、非常に難しい判断を求められたと思います。この手が『利かし』となり、のちの展開を有利に運ぶことになりました」(屋敷氏)
渡辺は、次の手を指すまでに83分間の長考。まさに青天の霹靂だったようで、
「丸っきり考えていなかった」と、対局後の取材に答えたほど。中盤から終盤にかけては、完全に藤井の独壇場だった。屋敷氏が唸る。
「66手目の『3三桂』が決定打になりました。相手の急所の桂馬と自陣の遊んでいる桂馬が交換になり、なおかつ角を活用できる展開にもつながりました。渡辺三冠としても、前手で『4五桂』と跳ねてプレッシャーを与えたばかりだっただけに『やられたぁ!』という一手だったのでしょう」
そのまま藤井の90手目を最後に投了。初防衛戦のみならず、渡辺三冠が持つ最年少九段昇格記録(21歳7カ月)と屋敷氏の持つ最年少防衛記録(19歳7日)の更新という重圧が加わった中での完勝劇。もはや「現役最強棋士」でさえも「天才」の前には引き立て役に見えたほどだった。