台湾総統選「アンチ中国」の民進党勝利で、習近平政府に跳ね返る「圧力」の代償

 台湾有事の可能性が注目されてきた中での台湾総統選は、民主進歩党の頼清徳氏が勝利した。この結果はいうなれば、中国共産党が台湾併呑の圧力を強め、様々な手段で選挙妨害を進める中、台湾の人々が成熟した民主主義を、中国ばかりか世界に示したということだ。

 総統選では経済政策も大きな争点となった。中国による露骨な利益誘導と虚偽情報が目立った。今後も、激しい妨害を中国が仕掛けてくるであろうことは目に見えているが、そうであっても頼氏の最大の責務は、中国から台湾の自由と民主主義を守ることである。

 われわれ日本としても、ここで改めて台湾有事と台湾の成り立ちについて考えてみることが必要だ。

 台湾有事とは中国による台湾侵攻のことである。これには二つの方法があるとされている。

 一つは、習近平主席の3期目の任期が終わる27年までに軍事侵攻するという説。もう一つは、習近平主席が武力を選択せずに、軍事的圧力と経済協力で台湾世論を揺さぶり、じっくり統一を実現するというもの。どちらの選択も、決定するのは米国でも台湾でもない。習近平中国である。

 総統選が迫る昨年来、親中派の国民党前総統・馬英九氏ら党幹部は相次いで中国を訪問していた。同じ時期に、親米派の民進党・蔡英文総統らは米国を訪問し、支援を呼び掛けてきた。この両党の対立の構図は、台湾の歴史をひもといてみると、また違った様相を見せ、実に興味深い。

 国民党は、およそ100年前から中国大陸で中国共産党と凄絶な戦いを繰り広げ(国共内戦)、その戦いに敗れて台湾に逃れてきた勢力である。すると「親米反共」を掲げて政治を支配し、戒厳令を出して一気に台湾を統治した。まさに軒下を借りて母屋を乗っ取ったのだ。

 こうして国共内戦で中国から逃れてきた人を「外省人」と呼ぶが、台湾の人口2300万人のうち12%程度しかいない。対して、それ以前から居住していた住民を「本省人」と呼び、人口の約8割を占める。本省人には元々島に暮らしていた先住民と、明王朝末期から清王朝の時代に大陸から移ってきた客家(はっか)と呼ばれた子孫も含まれる。

 ではなぜ、少数派の「外省人」を基盤とする国民党が、長らく台湾の政治を牛耳ってこられたのだろうか。

 中国共産党との戦いに敗れた蒋介石率いる国民党は1949年、台湾にわたって統治を始めた。蒋介石は政府から本省人を外し、徹底的に差別し、外省人を重用した。少数派の外省人が多数派の本省人を虐げる独裁政治を展開したのだ。

 むろん、本省人も黙ってはいない。民主的な政治を訴え、度々台湾独立運動を起こした。この民衆の熱が30年以上も続いた戒厳令を解除させ、民主進歩党(民進党)の誕生へと繋がっていく。86年、国民党一党独裁時代はついに終焉した。

 ところがここが不思議なところだが、本省人は国民党に迫害された歴史がありながら、必ずしも民進党支持一色ではない。本省人差別をかいくぐって成功したビジネスマンや、役人に採用され勝ち組となっていた本省人が国民党を支持したからだ。総統の直接選挙が実施された96年も、国民党の李登輝が圧勝している。

 ともあれ、中国側から見ると、国民党は正式名称を「中国国民党」と呼ぶように、イデオロギーは異なれど“身内の政党”という感覚だ。一方、台湾独立を掲げる民進党は中国共産党にとって、不倶戴天の敵。絶対に受け入れられない。

 中国の統一圧力に「NO」を示す頼清徳・新総統だが、本気で中国と事を構えようとは考えていないはずだ。弾圧の歴史から民主化を実現した台湾人にとって、何より大事なことは、「中国と争わずに平和を保ち」「現状を維持すること」なのだから。

(団勇人・ジャーナリスト)

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