現在、7大会連続出場を賭けて、W杯アジア最終予選を戦うサッカー日本代表。だが、森保一監督に対しては就任当初から戦術や選手起用などの采配が疑問視され、「新戦力を試そうとしない」との批判も多い。
どの選手を呼ぶかは監督次第とはいえ、日本代表の中心選手と目されながら、代表での活躍期間が短かったり、ほとんど招集されなかったという選手は少なくない。
例えば現在、解説者やタレントとして活躍する前園真聖もそのひとり。ブラジルを破った96年アトランタ五輪代表のキャプテンとして知られるが、フル代表も兼任。しかし、97年のW杯アジア一次予選を最後に代表ではプレーしていない。当時23歳で19試合4ゴールと堂々たる実績だったが不調を理由に外され、あの中田英寿が復帰を熱望してもそれが叶うことはなかった。
また、10年W杯ベスト16の立役者のひとり田中マルクス闘莉王もオシム、岡田監督時代は不動のレギュラーだったが、代表でプレーしたのは4年間と短い。ディフェンス能力の高さは文句なしのレベルだったが、DFながらゴールを量産する超攻撃的なプレースタイルが敬遠され、後任のザッケローニだけではなく、06年W杯まで指揮をとった同胞のジーコの下でもプレーしていない。
さらに〝ドーハの悲劇〟でW杯を逃した後、再建を託されたファルカン監督の下で中軸を担った岩本輝雄がプレーしたのは94年の7試合だけ。背番号10を付けて次世代のエースとして期待されたが、アジア杯ベスト8敗退で同監督が更迭。まだ22歳という若さにもかかわらず、それ以降は代表から声がかかることはなかった。
他にもトルシエ・ジャパンで右ウイングバックのレギュラーを務めていた波戸康広も01〜02年に15試合に出場するも日韓W杯のメンバーから脱落している。
「彼らはほんの一例。挙げたらそれこそキリがない。つまり、選手にとってはそれほど監督との相性が大きいということ。しかも、同じ監督でも突然サブに回されたり、代表落ちもすることも珍しくない」(サッカー記者)
実力の世界とは言うが、いくら実力があっても必ず選ばれるとは限らないのだ。