「アントニオ猪木を語り尽くそう」(3)新幹線の隣に座った人をタニマチに/夢枕獏×ターザン山本×小佐野景浩スペシャル座談会
夢枕 猪木さんにはもう10年ぐらい、何かで頑張ってほしかったですね。 小佐野 あらゆる物質を蒸発させてしまう水プラズマの実験に成功して、フィリピンのゴミの山を一掃するという計画がありました。 山本...
夢枕 猪木さんにはもう10年ぐらい、何かで頑張ってほしかったですね。 小佐野 あらゆる物質を蒸発させてしまう水プラズマの実験に成功して、フィリピンのゴミの山を一掃するという計画がありました。 山本...
夢枕 猪木さんは最期のギリギリまで自分を撮らせていますね。奥様が「あの人は、人前に出るのが大好きなので、いろんなことで人目に晒させてやってください」みたいなことを言って、亡くなったんですね。 小佐野...
燃える闘魂がこの世を去って、早3カ月─。まだまだ語り足りない。猪木に魅入られた男たちは顔を合わせると、止まらなくなった。故人に関することであればルールなしの無制限2本勝負。前編のゴングを鳴らそう。 ...
1981年春に勃発した新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き戦争は、両団体のトップヒールのアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンが入れ代わる形でほぼ互角だったが、観客動員数を伸ばした...
プロレスの枠を超え、多くの日本人に元気を与え続けたアントニオ猪木さんがこの世を去ってから1カ月半が経過。「猪木ロス」に陥ったファンも少なくないが、その一方で猪木氏のゆかりのあった場所を訪れる人が増え...
1981年5月8日、新日本プロレスの川崎市体育館大会に現れた、全日本プロレスのトップ外国人アブドーラ・ザ・ブッチャー。アントニオ猪木が提唱する世界統一構想IWGPに賛同したという建前だったが、実際に...
1980年、アントニオ猪木は異種格闘技戦を打ち切って、スタン・ハンセンという新ライバルとの抗争で純プロレスに軸足を戻し、ジャイアント馬場は愛弟子ジャンボ鶴田時代の足音を聞きつつ、3度目のNWA世界ヘ...
力道山亡きあと、1970年代の日本プロレス界を牽引したジャイアント馬場とアントニオ猪木は、その最後の年の79年を、7年8カ月ぶりにコンビ復活、馬場は2度目のNWA世界ヘビー級王座奪取、猪木は日本人初...
アサヒ芸能さんのこの連載で、初めましてなので、ご存知かもしれませんがまずは自己紹介を。落語家としては「桂米助」、タレントとしては「ヨネスケ」として活動しております。 まずは落語家として今年9月に...
1979年8月26日、東京スポーツ新聞社創立20周年記念事業として日本武道館で開催された「プロレス夢のオールスター戦」では、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が7年8カ月ぶりに実現した。 ...