1981年春に勃発した新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き戦争は、両団体のトップヒールのアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンが入れ代わる形でほぼ互角だったが、観客動員数を伸ばしたのは新日本だ。
その要因としては、まず4月23日の蔵前国技館でのタイガーマスク(佐山聡)の鮮烈デビュー。原作漫画を凌駕する四次元殺法は、ちびっこファン急増につながった。あのアントニオ猪木も、後援者への挨拶回りにはタイガーマスクのグッズを持参するほどだった。
そして、スタン・ハンセンが猪木のライバルとして完全に認知されたことも大きい。猪木のNWFヘビー級王座は世界のベルト統一を目指すIWGPが動きだしたために封印されることになり、その最後の防衛戦の相手を4・23蔵前で務めたのはハンセン。6月4日の蔵前における「第4回MSGシリーズ」優勝戦も猪木vsハンセン、その20日後の6月24日の蔵前の「3大スーパーファイト」のメインもハンセンが新日本初登場のブッチャーと組んで猪木、日本デビュー戦となる谷津嘉章と激突した。ハンセンは、常に新日本のビッグマッチで猪木とぶつかるポジションを築いたのである。
当時、マッチメークを担当していた坂口征二(現・相談役)は「テレビ中継がある大会のマッチメークは8時3分‥‥1発目にタイガーマスクが映るようにしていた。生放送だから、そういうことは考えてやっていたね。タイガーマスクが出て、セミファイナルで藤波が出てきて、メインを猪木さんがハンセン相手に締める。タイガーマスクがいた時は視聴率が最高だったよ」と、振り返る。
新日本人気が爆発したのは8月21日から9月23日まで全29戦の「ブラディ・ファイト・シリーズ」だ。日本全国をサーキットして1カ月で29大会も開催するのは、今のプロレスでは考えられないことである。
そして連日、体育館に人が溢れて超満員。9月17日の大阪府立体育会館大会は地下鉄なんば駅から体育館まで長蛇の列になり、超満員の9000人を動員。隣の大阪球場の南海(現・福岡ソフトバンクホークス)vs近鉄(現オリックス・バファローズ)の千数百人の観客動員数を上回った。
翌18日は広島県立体育館大会。試合開始後も1キロも人の列が続いて6500人の超満員。翌19日に広島球場で行われた広島vsヤクルト(ジャイアンツの優勝が決まったために消化試合)の4000人に勝った。
22日の高崎市体育館大会では、会場周辺の道が狭いために交通大渋滞となり、車が田んぼに転落するという騒ぎまで起こっている。
そして最終戦の23日、田園コロシアム大会は超満員1万3500人を動員。
人気者タイガーマスクがメキシコのソラールの左肩を破壊するアクシデント、藤波辰巳(現・辰爾)が全日本からの引き抜きを阻止したメキシコのエル・ソリタリオ相手にWWFジュニア王座を防衛‥‥と、エキサイティングな展開のあとのセミでは、アンドレ・ザ・ジャイアントとハンセンがスーパーヘビー級対決。
ハンセンがアンドレの223センチ、270キロの巨体を一本背負い、ボディスラムで叩きつけると、超満員の観客のボルテージは最高潮に。結果こそ両者リングアウト、直後の再戦はハンセンの反則勝ちという灰色決着だったが、ド迫力の攻防に大観衆は酔った。
「あの試合は私も興奮を抑えられなかったよ。新日本と猪木が私を売り出してくれたことには感謝しているが、本当の意味でファンに認めてもらったのはアンドレとの試合だったと思う。あの大きなアンドレから逃げることなく正面からぶつかっていったことで、ファンがまた違った目で私を見てくれるようになった気がする。アンドレはスマートな頭脳の持ち主で、猪木とばかり戦っていても限界があることをわかっていた。〝日本のファンはスタンをライバルにすることを認めてくれている〟と理解してくれて、いい試合をしてくれた」(ハンセンの述懐)
そしてメインは「IWGPアジア地区予選リーグ」として、猪木が全日本から引き抜いたタイガー戸口と一騎打ちを行い、延髄斬りから卍固めで快勝。
試合前には8月に崩壊した国際プロレス残党(のちのはぐれ国際軍団)のラッシャー木村、アニマル浜口がリングに上がり、10月8日の蔵前における新日本との対抗戦に向けて猪木に宣戦布告。だが、木村の「こんばんは。‥‥あのですね、10月8日の試合は国際プロレスの名誉にかけても必ず勝ってみせます」という朴訥とした挨拶は新日本ファンの失笑を買ってしまった。有名な〝こんばんは事件〟である。それが後年になって、木村のマイクパフォーマンスにつながるのだから人生はわからない。
興行的にも内容的にも伝説の大会となった田園コロシアム。新間寿取締役営業本部長は「プロレスブーム? 冗談じゃない。新日本プロレスブームですよ」と胸を張った。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。