燃える闘魂がこの世を去って、早3カ月─。まだまだ語り足りない。猪木に魅入られた男たちは顔を合わせると、止まらなくなった。故人に関することであればルールなしの無制限2本勝負。前編のゴングを鳴らそう。
夢枕獏 山本さんがまだ「週刊プロレス」の編集長だったら当然、特集号をドーンといくでしょう。どうするっていうところを聞きたくて。
小佐野景浩 やっぱり本の顔となる表紙が重要ですね。
ターザン山本 僕が猪木さんを表紙にするとしたら、猪木さんの原点は横浜の大さん橋だと思ってるんだよね。日本から移民としてブラジルに行くということは、地球の裏側に行くという物凄いコンパスじゃないですか。だから、大さん橋をバックにしたイメージ的な表紙を考えますよ。
小佐野 確かに横浜の大さん橋から14歳でブラジルに渡りましたからね。
山本 まあ、当時の日本から捨てられたようなものじゃないですか。それが猪木さんをアナーキーに追い詰めたんじゃないかと思って。
小佐野 しかも、家長のお祖父さんが途中のパナマで亡くなっちゃうという凄いドラマですよ。
山本 それが猪木さんの運命を決定的に決めたと。だから僕が表紙を作るなら、大さん橋を引っかけるね。で、僕は今、「大さん橋ツアー」を考えてるんですよ。
夢枕 そのツアーはぜひ実現させてくださいよ。それなら手漕ぎでいいからボートを一隻チャーターして「サントス丸」(猪木が渡伯した船の名前)って入れてください(笑)。
山本 来年、やりますよ。猪木さんの墓があるお寺とセットでやろうと思ったんだけど、そこにはお骨がないらしいんだよね。(長女の)寛子ちゃんが持っている。
小佐野 (4番目の)奥さんの田鶴子さんと入るために青森の蔦温泉に作った墓と、横浜の鶴見区の総持寺にある猪木家代々の墓に分骨されたんじゃなかったんですね。
夢枕 僕はこの10年、毎年の春にあの温泉のあたりを通るんですよ。そう、じゃあ来年の春に行っても猪木さんの骨はないんだ。
山本 蔦温泉旅館にとっても猪木さんの骨が入れば観光ツアーで人が来るじゃないですか。ところが骨がないわけですよ(笑)。
小佐野 猪木さん、亡くなる2カ月か前に、側近がガラッと変わっちゃうというのも信じられない話ですよ。
夢枕 そんなに変わっちゃったの!?
小佐野 弟の啓介さんも、それ以前は数年間、猪木さんと疎遠でしたから。
夢枕 何か、ギリギリまで凄いね、猪木さんは。
山本 いや、猪木さんほど優柔不断な人はいないですね。優柔不断は迷惑をかけるわけですよ。早く決断できないから。それは猪木さんの頭には弾がいくつもあるから、自分の中でダメ出ししながら最後の最後まで迷っていたと。普通の人は3つか4つしか弾がないから、すぐ選べるんですよ。
夢枕 「これだ!」と決める時は何が規準なんですか?
山本 気分ですよ。猪木さんには理屈がないから。
小佐野 長年二人三脚でやっていた新間寿さんを切った時も〝神のお告げ〟ですからね。
山本 過去の経緯を知りすぎている人間は嫌なんですよ。猪木さんは一夫多妻制(笑)。奥さん側からすると猪木さんは自分のものだと思うじゃないですか。でも猪木さんは、ある瞬間からコレ(切るポーズ)なんですよ。だからもう二度と会えなくなるわけです。
夢枕獏:作家。77年のデビュー以降、数々の文学賞を受賞する一方でプロレス・格闘技の熱心な信奉者としても知られる。テレビで放送された猪木の試合は全て観ているというマニア。
ターザン山本:元「週刊プロレス編集長」としては、むしろジャイアント馬場に近い存在だった。しかしアントニオ猪木に煙たがられる存在となりながらも、実は人生を賭けたほどの大ファン。
小佐野景浩:元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。高校時代に新日本プロレスのファンクラブ「炎のファイター」を立ち上げた生粋の猪木信者。